食い物日記番外編 スイス出張 200802
2/3 カプチーノの上に絵はあるか?(^_^;
体が重い…疲労が溜まってる?(^_^;
とりあえず朝食はこんな感じ…(^_^)
さすがに疲れたのか早くは起きれなかった(^_^;
予定から一時間ほど遅れて、七時半くらいに食事をして
八時半くらいに、荷物を預けて、日曜の街へと出かける。
静かな街に差し込む日差しが眩しいぜ…(^_^;
とりあえずマップを再掲…(^_^;
まだ時間に余裕があるので、一つ先の駅まで、
ステファン教会など昨夜の場所にもう一回足を運んでみる。
ステファン教会も昼はこんな感じ…のはず(^_^;
で、中はこんな感じでした…昨夜の漆黒に鈍く光る金属のさざ波から一変でした(^_^;
朝早くから多くの参拝者や観光客で賑わっているが…
教会の前には物乞いさんも、いらっしゃいました(^_^;
次に向かうのは、ハプスブルク家の夏の離宮。
「シェーンブルン宮殿!」ついに来た!(><)
<<<<<<<<<うんちく(^_^;>>>>>>>>>
ハプスブルク皇帝の夏の離宮だったバロック宮殿。
直訳すると『輝ける泉』
マリアーテレジア女帝やエリザベート皇后(シシィ)の暮らした
豪華な部屋の数々が、見学コースとして公開。
シェーンブル宮殿とその広大な庭園は、世界最古の動物園を含め、
すべてがユネスコ世界文化遺産に指定されている。
シェーンブルン宮殿はバロックの巨匠、
「ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハ」によって、
17世紀末に建てられた宮殿建築の傑作なんだとか。
この宮殿で生まれたフランツ=ヨーゼフ皇帝(在位1848〜1916)は、
生涯を通して、彼の軍隊に課したのと同様なスパルタ的生活様式を
自らにも課したらしい。晩年の数年を皇帝はここで過ごしたんだとか。
1918年、宮殿は新生のオーストリア共和国の所有するところとなる。
その歴史的重要さ、美しい環境、豪華な建築様式、庭園の素晴らしい配置で、
シェーンブルン宮殿はウィーンで最も人気の高い名所となっている。
とまあ、そんな感じで、移動時間も考えて時間の取りやすく天気の良い、
本日の一番のポイントに決定(^_^)
場所は地下鉄の路線で言うと、昨夜乗ったU3に乗って、Wien Mitte/Landstrasse
まで戻ってそこからU4のラインでシェーンブルンまで行けばおっけ(^_^)
時間にして三十分くらいを想定してたけど、だいたいそんな感じかな?
郊外まで走って、
西側の端まで乗って、到着(^_^)
まだ、時間が早いのか、電車の中も人はまばら。
もっとも、教会は朝からごったがえしてたのだが(^_^;
エレベータとかエスカレータで地上に出て、入り口まで歩く人々に続く(^_^;
歩くこと五分くらいで入り口…そして振り返ると大通り(^_^;
とまあ、来たんだけど、
忙しさにかまけてさっきの情報とか全然頭に
入って無かったんだよね…これが(^_^;
ということで、勢いとインパクトだけで訪問。
敷地の概容と…GoogleEarthの情報をとりあえず列記(^_^;
正面左奥に入り口があるので、そこに入ってまずチケットを購入する。
朝一が良かったのでガラガラ。
ちなみに、出る時にはチケット売り場はすでに長蛇の列でした(^_^;
ちなみにチケットは三種類。
どれがお勧めかと聞いたら、おっさんは、
『自分の時間と費用とで好きなの選べば?』
とのありがたいアドバイス(^_^;
時間もあまりないので、中庸なコースを選択し、
荷物を預けて中に入りましたとさ(^_^;
入ってすぐ右手には教会が(^_^;
入って中央の当たりまでは普通に入ってこれるんだけど、
こっから先にはカード式のゲートがあって
カードの種類で行ける場所が異なるのでした(^_^;
ジョギングなどもしている人が多い庭園は後ほどゆっくりと(^_^)
こーゆー感じで、美術品とかに触れ合えるように
暮らせるのがこっちのいいところだよなあ(^_^;
中に入ると、ゲートで想定したよりはかなり混んでいて
ゆっくり見る…という感じとはちょっと違ったけど、
かなり堪能できました(^_^)
えー、ちなみに内部は撮影禁止ですm(_ _)m
しかし、ノイエサンスーシとかもそうだったけど、
なんでこう、一続きの作りなんだろうね?
廊下の両脇に部屋が並ぶって感じじゃないんだよね。
ま、隠し部屋の類いもあったりするし、
美術品や芸術品はすばらしかった(^_^)
マリー・アントワネットやマリー・テレジアの
残り香を感じたような感じないような(^_^;
とりあえず入り口敷地の中央に戻って360度パーン(^_^;
マリーが作文の勉強をサボって遊んだ噴水は
一体どこでしょう?(^_^;(ベル薔薇ネタ)
ま、この時期は噴水も止まってて凍り張ってマシタが(^_^;
ちなみに、入り口左右の建物は売店も兼ねているんだけど
右手の建物が、ブルックナー(オーストリアの作曲家)が
最後に住んでいたところだとは…『のだめ』を読み直ししていて
初めて知りましたm(_ _)m
とりあえず人の流れに従って右奥のゲートを抜けて、
広大な庭園を時計回りに見て回ることにする(^_^;
まず、見事に剪定された庭からスタート…(^_^;
宮殿内を巡っていた時に見た庭園はこれかな?
ま、花で賑わう時期ではないので
少々寂しくはありましたがね(^_^;
もともと夏の庭園だからなぁ、でも手入れ具合は凄い(^_^;
ゆっくりと巡って右奥まで行くと
教会とか温室とかあったり、
なんだか、野性味あふれる匂いが流れて来たりする(^_^;
宇宙船のごとき温室…ではありません。実は意表を付いて『砂漠館』(^_^;
***うんちく***(^_^;
ここには1904年建造の歴史的な日時計の家があったのだが、
長年にわたる改修工事を終え、かつての蝶の家が砂漠館に生まれ変わりました。
砂漠館ではオーストリア連邦庭園局の膨大なサボテン・コレクションが、
一般に初めて公開されているらしい。
アフリカ、オーストラリア、アジア、アメリカの砂漠に棲息する
動物や植物が再現されているらしいのだが…入りませんでした(^_^;
隣接する教会はミサ中でちょっと覗いただけ(^_^;
宮殿の中にありそうに見えるのだが、実際は外側なので
一度外に出てから覗いたんだけどね(^_^;
なんか、結構込み入った儀式の最中でした。
日本庭園なんかもある…リスもいましたし(^_^;
この宮殿の中には実は動物園もあったりして、
家族連れで賑わってました(^_^;
でも、入りはしませんでしたが(^_^;
先程の野趣溢れる匂いはここからなんですねぇ(^_^;
***うんちく***(^_^;
ウィーンのシェーンブルン動物園は、現存する世界最古の動物園。
世界唯一の「バロック式動物園」(謎)。
この歴史的動物園は、波乱に富む過去を秘め、同時に未来への大きな課題を担っているとか。
動物園の創立者である皇帝フランツ=シュテファン・フォン・ロートリンゲンはマリア=テレジア女帝の夫。
夏の離宮シェーンブルンの庭園に動物園が新設され、ここに皇帝夫妻が最初の賓客を迎えたのは1752年。
1906年7月14日、シェーンブルンでは、動物園で初めてのゾウの子供が誕生。
この時まで動物学者は、飼育下でのゾウの出産は不可能という意見だったのだが、
今日ではゾウばかりでなく、トラ、ヒョウ、シロクマ、キリン、オットセイ、
アザラシ、ペンギン、カバなどに加え、ヨーロッパ産の全ての動物たちが、
ここで繁殖。
シェーンブルン動物園は、世界で最もモダンな動物園に数えられ、
「シェーンブルンでは動物たちが幸せに暮らせること」をモットーとしてて
その成果は一目瞭然なんだそーな(^_^;
この動物園の辺りで左折して、庭園の中央に向けて
動物園を横目に歩く。
十分くらいをかけて、中央部の開けたところに到達すると、
氷の張っている人造池があって、その脇をぬけて高台を目指す(^_^;
まあ、やっぱり凍っている訳だったりするのだが(^_^;
日差しは逆行になっているので、まあ。
ここを抜けると、日差しが戻ってくる。
高台に向けて健脚を競う人々(^_^;
そこそこの勾配で、距離もあるので、
バックを担いで軽く汗をかきながら登る。
老いも若きも元気にしておりました(^_^;
高台からは街が一望。>巨大な教会も見える(^_^;
本当に町ごと博物館なんだなぁ…と関心。
もっとも、自分の立っているところも全て世界遺産なんだが(^_^;
丘を抜けていく風が、汗を心地よく飛ばしてくれるのでした。
高台の『グロリエッテ』は喫茶店をかねてました(^_^;
***うんちく***(^_^;
シェーンブルン庭園の丘のうえのグロリエッテには、カフェが営業。
コーヒーやケーキと美しいウィーンの眺望を楽しめる。
日曜のブランチは、クラシックからジャズまで、ライブ音楽つき。
グロリエッテは初期歴史主義のコロネード(列柱回廊)として、1775年に建造。
凱旋門を思わせる中央部は、マリア=テレジア女帝が世を去る前、
ガラス張りとなったらしい。
上部には、帝国を象徴する巨大な鷲が、地球の上に立って翼を広げている。
両翼の階段部分には、豪華なトロフィーが配されている。
また欄干を取り付けた平らな屋根は、すでに19世紀から展望台として利用されていたんだとか。
ここで昼食をとるべきかとっても悩んだのだが、
やはりウィーンのカフェでランチを取らねば…ということで、
庭園右側を足早に堪能してから、再び電車にのって市街へと戻るのでした(^_^;
さて、ウィーン市内は『リング』と呼ばれたりする。
***うんちく『リング通り』***(^_^;
ウィーン旧市街を取り囲む美しいリング通り(環状道路)は、
「ハプスブルク王朝のショーウインドー」と称される。
1857年、皇帝フランツ・ヨーゼフ(在位1848〜1916)は、
すでに要塞としての役を果たさなくなっているだけでなく、
成長を続けるウィーンの街にたがをはめている市壁の取り壊しを命じる。
壁と壁の外の射程野があった場所には、1858年から1865年にかけて、
全長約4キロメートルの環状道路が建設されたのだ。
お薦め:リング通りを走る路面電車1番(右回り)または2番(左回り)に乗ると、
以下の代表的な建築物を見ることができます。
ま、俺は、ひたすら歩くのだが(^_^;
その通りの周囲に並ぶのは…オットー・ワーグナーの郵便貯金会館、
応用美術博物館、市立公園(園内にヨハン・シュトラウス記念碑)、
シュヴァルツェンベルク広場、国立歌劇場、王宮庭園、王宮(ホーフブルク)、
美術史博物館と自然史博物館、国会議事堂、市庁舎、ブルク劇場、ウィーン大学、証券取引所など。
周囲の地図と国立歌劇場(^_^;
青丸が地図のあるところ。
で、色の付いているところがイベントの場所で、近くの白い台形みたいなところが歌劇場、
17が美術史博物館、18が自然史博物館、6が王宮(ホーフブルク)などなど(^_^;
で、まあ、あちこちと見て回る前に腹ごしらえをしないとね…と
公園を抜けて、ついさっきどこかで見たような建物を目指す。
シュメッターリング&パルメの家(^_^;
ま、蝶の館とシュロの館なんだけどね(^_^;
シュロの館の方に入ってレストランで席を探す。
複数の場所があって勝手がわからずに列にも並ばず、きょろきょろしていると、
親切なウェイトレスが、カウンター席に案内してくれた(^_^;
で、最初にドイツ語を話したら、結局ドイツ語で最後まで通されました(^_^;
んで、注文したのが、『今日のスープ』と『チーズケーキ』と『カプチーノ』
…で出てきたのが…スープと…チーズ?(^_^;
大きいのか小さいのかどっち?って聞かれたから
変だとは思ったんだけど、そのまま小さいのって頼んだら
これが来ました…意地で全部食ったけど、
小さい方のチーズで助かった(^_^;
残念ながら、カプチーノの上に絵は描いてくれませんでした(^_^;
描いてくれる有名な店に行きたかったんだけどねぇ。
探している時間がありませんでした(^_^;
そして『美術史博物館』を訪問(^_^;
美術史博物館は美術品の収集において、世界で最も豊かで
優れている博物館の一つと評価されているらしい。
ゴットフリート・ゼンパーとカール・フォン・ハーゼナウアーによって、当時は皇帝家の
所蔵となっていた膨大な収集品の収納庫として、1872年から1891年にかけて建造。
絵画の分野では、古いものではハプスブルク家の家族、プラハにいた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世、
ブリュッセルのレオポルト・ウイルヘルム大公達により収集された作品や、
他の多くの逸品が集められている。
その中でもデューラー、ルーベンス、ティティアーノの作品や、
世界で最大のブリューゲルの作品群が中核をなしている。
博物館中央ドーム下のホールでは、ブランチや豪華ビュッフェのディナーで、
芸術とグルメのプログラムもあるらしい(^_^;
なんでか、象の像があったりする(^_^;
ちなみに、上の像は、『美術史博物館』と鏡のように作られて
向かい合っている『自然史博物館』のもの(^_^;
こっちは時間が無くて全然見れませんでした・(^_^;
まあ、今度来た時に…あるかな?
頂や入り口には見事な彫刻があります(^_^)
それにしても見事(^_^)
なんだか入り口には台湾の宝物が春に来るとか書いてあったけど、
そっちはよく見に行くのでとりあえずは、ハプスブルク家の名品を堪能しに(^_^)
***うんちく***(^_^;
美術史博物館は美術品の収集において、世界で最も豊かで優れている博物館の一つと評価されているんだとか。
ゴットフリート・ゼンパーとカール・フォン・ハーゼナウアーによって、当時は皇帝家の所蔵となっていた
膨大な収集品の収納庫として、1872年から1891年にかけて建てられた。
絵画の分野では、古いものではハプスブルク家の家族、
プラハにいた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世、
ブリュッセルのレオポルト・ウイルヘルム大公達により収集された作品や、
他の多くの逸品が集められている。
その中でもデューラー、ルーベンス、ティティアーノの作品や、世界で最大のブリューゲルの作品群が
中核をなしている。
博物館中央ドーム下のホールでは、ブランチや豪華ビュッフェのディナーで、芸術とグルメのプログラムが
楽しめるらしい(^_^;
入って正面の階段…何度もテレビでみた場所にようやく到達(^_^;
天井画も美しく(^_^;
振り返ったところにも美しい女神像が(^_^;
この上には、実はデュラーの絵があったらしいのだが…
見落としました…まさかそんなところに…
まあ、展示はちゃんと見たけどね(^_^;
これが噂のレストラン…(^_^;
中はかなり駆け足で見ることになりました(^_^;
しかも、一番見たかった展示は改装中で見れませんでした。
とっても残念です(ToT)
駆け足でみた中で、ドレスの参考に撮影したものだけ掲載(^_^;
美術史博物館を出ると、通りを渡ってホテルへと向かう。
一日前と違って、地理と方向感覚ができ上がったところで
戻ることになるとは…(^_^;
ホーフブルク王宮の中の敷地を通り抜けて…泣く泣く通過(ToT)(^_^;
***うんちく(^_^;***
ホーフブルク王宮は、1918年までハプスブルク家歴代の神聖ローマ皇帝または
オーストリア皇帝の居城でした。もともとは中世に建てられた城で、
長年にわたってハプスブルク家の強大化と領土の拡大に伴って拡張され、一層美しく飾られてきた。
16世紀には厩とアマリア宮が付け加えられ、17世紀にはレオポルド宮が、18世紀には帝国宰相宮、書庫、
乗馬学校が付け加わって、ヨーゼフ広場が現在の姿となった。
神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世(在位1780-1790)の騎馬像が、ローマのカピトール神殿に建つ
皇帝マルクス・アウレリウスの像を摸して、1807年に完成。
19世紀には旧ブルク劇場の跡地を利用して、ミハエラー広場に面してミハエラー宮を加え、
広壮な複合建物が美しい調和を見せて完成。
1900年頃、王宮の最後の造営計画として、新王宮が建設。
この王宮の建物は、ヘルデン広場を挟んで向かい合わせに2棟の対称的な宮殿を建て、
かつ王宮から2棟の博物館に向かうアーチ状の橋を架け、ここに壮大な一大王城を作り上げる、
という総合計画のほんの一部分。んがしかし、この計画の完成を待たず、帝国がその終焉を迎える。
現在、王宮には、オーストリア大統領府、国際会議場、日曜日および宗教祝日に
ウイーン少年合唱団がミサで歌う礼拝堂、スペイン乗馬学校などが入っています。
新王宮には、民族学博物館、美術史美術博物館分室、エフェソス博物館、
楽器コレクションなどがあり、王宮見学の前後に、カフェ・ホーフブルクがいいらしい(^_^;
王宮に王はいないけど、彼らの使っていた宝物は残っていると、
書いてあるポスターに後ろ髪を引かれるようにホテルに戻り、
馬車と競争するように駅へ向かったのでした(ToT)
とまあ、せっかく急いだにも関わらず、
飛行機が二時間も遅れ、ホテルに着いて見れば九時過ぎ…
とほほな感じで、カップ麺での夕食となりましたとさ(ToT)
これだから、当日移動は怖いんだよね…
さて、明日から会議三昧…資料を読み直さなきゃ(^_^;
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