食い物日記番外編 香港逃避行 2006
2/26 泣く泣く戻る…最後に点心と甜品!(>_<)
始発は閑散…と思ったらすぐに混雑(^_^;
緑の地下鉄クントン線で楽富(ラクフ)へ(^_^;
十分程で到着の予定(^_^;
戻りを考えて時間をカウント。
ホテルからここまでが十分だから、どう考えても
三十分前には公園を出ないと駄目だろうなぁ(^_^;
ピンクの駅から出て左上に行けばいいんだよなぁ(^_^;
到着して、駅の地図を確認。
とりあえず、あっちかなぁという感じ?
ここにはSOGOのチェーンもあったけど、買い物は出来まい(^_^;
で、バス停を横切り、大学の前を越えて
更に公園を通り抜けて、大きな通りに出る。
それにしても、のーびんりした陽気(^_^;
あまり余裕があるわけではないけどまあ焦っても仕方がない(^_^;
それにしても、通りの地図もなんとなくいい加減。
地図をみて、右手に公園があるはずと歩いていても、
どうしても左手にある古い壁の向こうが、『九龍公園』な気がする(^_^;
で、通りを渡って見ると…(^_^;
やっぱそうじゃん(^_^;
なんで、こんなにいい加減なんかなぁ(^_^;
そんでもなんとか公園に到着。
一応最短距離で到着したことになる(^_^)
うーん!(^_^)
ここは旧カイタック空港側のエリア。
かつて悪名を馳せた『九龍城』は取り壊され、
清代初期の江南様式庭園を中心とした公園になっているわけだ(^_^)
雰囲気あるなぁ(^_^)
公園の中はとっても静か。
太極拳(型的には多分(^_^;)をしている爺さん婆さんがいて
王侯貴族の雰囲気ではないけどね(^_^;
どうやって持ってきたのか太湖から持ってきたかのような奇岩(^_^;
もともとが海底だった場所であれば、
こんな石灰質の溶けたような岩がごろごろしてたのは
本土の公園でかなり見たけどね。
ここのはどこから持ってきたのかな?
長い回廊があったり、池を望む楼があったり。
こんなところでゆっくりとしていたいなぁ(^_^;
寒そうではあるけど。
季節が良ければこの楼でお茶が飲めるらしい。
奥にはかつての怪しげな建物の名残?(^_^;
うんちく的には、宋王朝が滅亡する舞台となったのが、香港。
1277年に元の皇帝フビライに追われた宋の幼帝瑞宗(ソイジョン)が
逃げ延びて着たのが九龍半島。
瑞宗はこの地に束の間の朝廷を築き、餓死寸前の軍隊と共に立て篭もった。
だが一年後病に倒れた悲劇の帝は九才でこの世を去り、宋は滅亡する。
そして瑞宗が束の間の朝廷を置いたこの地を守っていたのが九龍城塞。
つまり、九龍城塞はその名の通りの城塞であったわけだ。
んでは、それが何故、ビルの密集したスラムと化したのか?
1860年、香港島と九龍半島南端はイギリスに割譲された。
だがその時、九龍城塞だけが清の領土として残されたのである。
しかし、清はその後の日清戦争や国内の混乱に追われ、
九龍城塞にかまってる場合ではなかった。
かくして九龍城塞はイギリス政府が干渉できない治外法権的な場所となり、
清の役人もいない忘れ去られた場所となった。
そのため、何万人もの不法な居住者が占拠する無法地帯と化したのである。
ま、返還が決まった事で九龍城塞も1993年に取り壊され今に至る(^_^;
園内はそんな過去とは無縁の静寂(^_^;
実際、イミテーションと分かっていても、
それを目にして巡って歩く機会は少ないからね。
そもそも、中国のかなりの史跡が作り直された
テーマパークになってしまっているんだから(^_^;
(中国旅行記参照(^_^;)
鉢をそのまま水に沈めてある(^_^;
これはこれで文化の形なんだろうか?
もっとも、全然知らないのだが。
魚も泳いでるしね(^_^;
ゆっくりと園内を歩く…時間あとどのくらいあったっけ(^_^;
池に張り出した楼の中には詩編があった。
蝶の家は佳き樹々の中に、王侯の住まいは美しい山川に。
って感じかな。
さて、裏門に到着。いつの物なんかな?(^_^;
なんの場所なのか十二支の像もある(^_^;
園内中央には茶楼もあって…(^_^;
お茶も飲めそうなんだけど、あまり人もいないし、
そもそも時間があと十分程度くらいしかない(^_^;
こんなことならもっと早く出れば良かったと
思う当たりは既に後の祭り(ToT)
そして正門に到着(^_^;
入口近くの公園の広場では、なんだかイベント。
香港と九龍でなんかの記念してたみたい。
ゆっくりと覗く時間は…無いなやっぱり(^_^;
最後にもう一度園内を通って裏門へ(>_<)
残り三十分ということで、そのまま後ろ髪を
引かれるような思いで、通ったコースをそのまま逆走。
待ち合わせの時間二分前に到着したら、すでに現地ガイドが待機。
皆、待っているというのでそのまま部屋に戻って直ぐにUターン。
随分ときつい言われようではあったので
中国語で反論の練習しようと思ったが…(^_^;
やめときました…(^_^;
「すみません。でも、今、まだ時間ではありません」
くらいは言えたかな?
エレベータが結構遅いので結果的には三分遅刻(^_^;
まあ、準備は終わってたのでそのまま他の客の回収に廻る(^_^;
なあんでこんなにいい天気?最終日なのにぃ(^_^;
行きの通りを逆行。それにしても混雑した海(^_^;
三十分ほどで空港に到着。
のんびりとしたもんで、結構あちこちと巡った(^_^;
途中にもバウヒニウムが赤い花を沢山咲かせてました(^_^;
そして空港の食事は点心(^_^)
街中では、なかなか見つからなかったのだった(^_^;
レストランの中にはあるみたいだったんだけどなぁ。
香港人が一目置くという福茗堂(ふくめいどう)もどこにあったやら(^_^;
三国志の冒頭にも登場するお茶。
主人公である劉肥玄徳は母を喜ばせるために、父の形見の剣を手放して
貴重なお茶を買い求める。それを知った母は怒り、その茶壷を
河に投げ込んでしまう。このエピソードは中国人にとって
如何にお茶が人生にとって欠かせないものであるかが分かる。
当時のお茶の付け合わせは、ささやかな干し豆の様なものであり、
これを湯飲みの中に落とすと、湯飲みの中心に点のように落ち着く。
これが「点心」の由来であるとも言われている。
唐の時代には、水車の発達によって小麦粉を挽く技術が発達し、
これが新しい点心を次々と生み出す切っ掛けとなった。
更に一九三〇年代、お茶を出す専門店に週変わりの点心が登場する。
そして、いくつもの店が競い合い、バラエティに富んだ飲茶となった。
香港に伝わった飲茶は、朝から昼にかけての欠かせない習慣となった。
広東のエキスの詰まったヤムチャはいまや香港の花形。
点心の正しい食べ方は「一チュウ兩件」(チュウは中の下に皿である)
つまり、一杯のお茶に二つの点心が正しい食べ方であるとされる。
んがしかし、山のように積み上げて食べたかった…(^_^;
種類は三〇〇から四〇〇種類にもなるらしいし。
左の品は水晶鮮蝦餃(ソイテェンシンハーガウ):蝦蟲餃子。
薄い浮き粉の皮で蝦を包んで蒸す。ぷりっとした食感と一緒に、
蝦の甘味が口に広がる。
その隣は蓮蓉饅(リンヨンハム):蓮餡の饅頭。
香港では連餡の方が一般的。しっかりとした皮の中に詰まった餡は、
小豆とはまた違った甘味がある。
その下は(漢字書けない)ダーンタッ:卵の味が濃厚なカスタードを
サクサクのパイ皮で包んだデザート点心。
更に続く(^_^)V
左の上のが芋角(ライウーゴッ):タロ芋のコロッケ。
蜂の巣のように揚げたサクサクの衣の中はねっとりとした
タロ芋のペースト、八角の香辛料がアクセント。
左下は春巻き、お茶はジャスミン茶。
それに右のように海老雲呑麺も注文(^_^)
美味しかった!(>_<)
まあ、値段は全ての食費を合計したのを上回ったが(^_^;
饅頭やカスタードは甜品。つまりデザート。
中国人は老若男女を問わずデザートが好きなんだとか。
北方系は料理と同じ粉物や練り物で揚げたデザートが多い。
南方系はそのスープ文化から汁粉物やフルーツなどが多いのだとか。
高力豆沙(ゴウレッタウサー)は無かったなぁ。
小豆餡メレンゲ包み揚げ砂糖がけ。
小豆餡をメレンゲで包んだ揚げ菓子。固いメレンゲにすることが、
弾力の有る皮を作る秘訣なんだとか。満腹度が高いらしい。
これも、次にはチャレンジせねば(^_^)
一息ついて、空港の中をぶらぶら(^_^;
それにしても広い空港だなぁ(^_^;
電気製品を見てたけど、任天堂DSとかもあった。
値段を聞いて悩んで見せると、その場でディスカウント始めるあたりが
中国っぽい(^_^;
そしてゲートの中へ(^_^;
友人は残金を換金したようだったが、
こちらは土産を購入。
茉莉龍珠と水仙茶(^_^;
ゲートの前にはリラックス出来るベットが(^_^;
その辺で、ゆっくりと時間を待つ。
戻りの飛行機もANA。
終わってしまえばあっちうまだなぁ(^_^;
出発後一時間ほどで食事(^_^;
チキンのソテーだったが、いまいち(^_^;
そして、バッテリーの時間ぎりぎりまで、旅行記をまとめる。
まあ、全然終わらなかったけどなぁ(^_^;
なんか、旅行の時間よりも旅行記の執筆時間の方が
長くなりそうだなぁ(^_^;
そして陽が暮れて行く(^_^;
頑張ってる自分にちょっと御褒美な少旅行でした(^_^)V
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