〜〜  風の囁き  〜〜





  「おーい、こら、樹(いつき)!」



   学校が終り校門へと向かう少年を元気に少女が追いかける。声の届かない距離では

  ないのに、少年の足は動き続ける。



  「ねえったら、おいおい!」



   声を大きくするが、それでも止らない。結局少女は自分の足で少年との距離を縮めた。



  「この前は、ありがとね」



   校門を過ぎた所で背後から艶やかな黒髪を弾ませた少女が追い付いて話し掛ける。



  「んぁ?何だ?今度は従兄弟か兄貴のふりか?」

  「違うわよ!バカ!」





   少女、来夢(らいむ)が元気な声を押さえて優しく素直に話しかけても、樹は

  振り返る事無く素っ気無い言葉を返してくる。ついつい来夢の言葉も強くなってしまう。

  この前の時もそうだったと、来夢は思う。

  思い出という名の引き出しをひっくり返せば、同じ様なやり取りばかりが

  零れ出す。

   それでも嫌味に感じないのは、周囲からは何と言われようと樹の人徳というよりも

  来夢の慣れだと本人は思っている。

   もっとも、別の見方をする人の意見は、来夢に黙殺されてはいたが。

   だから樹の答えなど待たずに、関西人のド突き漫才よろしく張り倒しつつ傍若無人に

  しゃべり続けるのがいつもの来夢の闊達な姿だった。

   だから、そんな相手だから樹には頼みにくい事も頼めた。

   けれども、今日はそのまま言葉を詰まらせる。来夢が転校元の仲間と会い、未だに

  わだかまりの残る元彼氏への対抗心から樹に一日だけ彼氏のふりを頼んだのが

  先週の土曜。

   樹がクラスメートの美玲と互いが分からなくなったといって別れたのが今日。

   そんな時なのに、何故か来夢は樹と話をしていたかった。



   樹にとって、来夢との会話は心地好い物だった。美玲の気分次第でころころ

  変わる言葉や、つまらない癇癪、時折見える自分の機嫌を伺うような視線には

  辟易していた。だからこそ、ぽんぽんと投げかけられる、来夢の言葉は心地良かった。

   しかし、今日に限って来夢の言葉はそれ以上樹の背中に当たることは無かった。

  が、それはそれで樹には良かった。





   来夢は、肩にかかる先端のややカールした自分の黒髪をちらと眺めて、そのまま

  樹の後を歩き続ける。

   発育の遅い樹の身長は一年前、来夢が転校してきた中学二年の頃とさして変わらず、

  陸上部に所属していてすらりとした体付きの来夢よりもやや低いままであった。

   堅い髪を程よく切り、前を軽く分けた髪形も、ポケットに手を入れたまま歩く癖も

  変わらない。元気な眉が印象的な整った顔だちも、黙っていれば美男子と言われる

  程には維持していた。

   来夢はといえば、長めの前髪に特徴のある自らの容姿を特に不足していると

  感じた事はないし、そこそこに人気もあった。不満と言えば肢体に起伏が

  もう少々欲しいとは思っていたが。





   ディバッグを肩にかけて先を歩き続ける樹の背中を黒曜石の瞳で見つめたまま、

  来夢は文句も言わずに歩く。

   子供の他愛無い落書きが所々にあるコンクリートの壁が続く、いつもの道を眺めつつ、

  まだ青い空の光を浴びながら歩く。





   空を見ていた視線を、前を歩く無愛想なクラスメートに戻し、一つ息を吐くと

  何げなく話しかける。



  「あのね、」



   そんな、語りかけの言葉も来夢には珍しい。



  「昨日、この前の友達から手紙が届いたの。向こうの二人は上手く行っているらしいの。

  私と会ったせいでぎくしゃくしてないかなって、思ってたから正直ほっとしたわ」

  「むりすんなって、本音はむっとしたの間違いじゃねーの?」



   皮肉とも取れる言葉を返しながら、あいも変わらず樹は歩き続ける。

   来夢はちょっとむっとする。せめて素直に受け取って欲しかった。

   そんなに性格悪く見られてるのかな、と思ってしまう。



  「ほんとに、ほっとしたの!」



   少々荒くなる語気にも、樹は無関心である様に見えて、来夢は言葉の調子を戻した。



  「でもね、そんな風に思えるのも樹のお陰もあるの。一緒に歩いていてね、

  あんたが本当に彼氏だったらちょっといいかなって…思っちゃった…」



   来夢の視線が、樹の背中から止らない足元に移る。来夢の期待を裏切って

  樹々の葉影を踏み続ける樹の代わりに止ったのは、来夢の足であった。

  自分が何を言っているのか、言おうとしているのか、来夢は混乱していた。

  今日美玲と別れたばかりの樹、そんな時に、こんな所で、何のために。

   チャンス?誰かが来夢の心で囁いた。一体なんの?

   それでも言葉は止らなかった。



  「…美玲の代わりって訳じゃないけど…私じゃ駄目…かな…」



   その言葉に初めて樹の歩みが止った。

   何を言われたのか瞬時には分からなかった。樹は言葉を頭の中で文字に直して

  二度三度と読み返す。

   振り返る事も、言葉を返す事もなく樹は立ちつくしている。

   そのまま、いつもの帰り道が色を失った様に来夢には感じられた。

   心臓の鼓動は早鐘の如く鳴り、頭がぐるぐると回って思考が追い付かない。

   一瞬と永遠を共有する時間を再び流したのは、吹き始めた風であった。

  来夢の髪が、スカートが緩やかに風に流れる。舞う埃が一瞬視界を過った。

   風に誘われるように、樹はすっと肩越しに言葉をとぎらせた来夢を振り返った。

   いつもと変わらない、無関心な瞳。その瞳に写ったのは、黙ったまま自分を見つめる

  来夢の瞳。

   大きく活力に溢れていたその瞳は今は震えていた。瞬きも忘れて自分を見つめる、

  思いつめ、脅えにも似た光を湛えた瞳に、樹ははっとして振り返った。

  初めて見せる異性としての来夢の頬を彼女の黒髪が撫でていた。

   通りの欅から風に落とされた青い葉が、来夢の肩に落ち、束の間留まって、

  地面へと再び風にのった。

   風になびく黒髪の面紗(ヴェール)の隙間で、花の蕾の様な唇が微かに開いた。



  「…本当の…彼氏に…」



   葉はその身を地面に横たえた。その音と同じくらいに微かに、最後の言葉は囁かれた。



  「ならない…?」



   動き出した風は止らなかった。







                                      Fin









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