少年と約束   〜ハプニング〜





  「では、今日の授業はこれで終わりです。皆さん気を付けて帰ってくださいね」

   そんな先生の終業の言葉なんか僕らは聞いてはいなかった。親指を立てて

  合図を送ると石造りの校舎を飛び出し、一目散に待ち合わせの場所を目指す。

  直径一ルトム半(約三キロ)に及ぶ高い城壁で覆われた僕らの街ペンデュラムの

  外には、果樹園と公園、そして放牧地が広がっている。公園の一番大きな木の下が

  待ち合わせ場所。

   一番に着いた僕は、耳の下で切り揃えた癖の無い亜麻色の髪を僅かに風に揺ら

  せて、走り抜けてきた草原を同じ色の瞳で振り返った。

   僕ら幼年学部の五人の仲間はいつもここを集合場所にしているが、最後に

  ついたのは六人目。先々週に転向してきたばかりの新しい女の子。名前はニア。

  緑色の瞳と赤みがかった長い金色の髪がとても奇麗だ。

  「ちょっと、あんたたち!女の子を置いてさっさと先にいくなんて礼儀に

  反しているわよ!」

   一緒にいる、褐色の髪をおさげにして大きな目を吊り上げているのはミース。

  同い年の九才のくせにレディ扱いをしないと怒る。いったい何処がレディだって

  いうんだ。

  「ごめんよ、ミースはともかく、ニアには悪かったよ!」

  「なんですって!どういう意味よ!」

   意識的にニースを無視するグレッグにミースは食ってかかる。この二人はいつも

  こんな調子だ。ケインは癖のある金色の髪を顔にたらして我関せずと、僕の隣で

  本を見ている。全速力で走って来て、なんでこんなに余裕があるんだ?

  「リュート!あんたまで置いてくなんて!」

  「ご、ごめん…」

   僕と同じ亜麻色の髪を肩のあたりで切り揃えた、レノアが褐色の瞳で

  更に詰め寄る。

   ニアにいいところを見せたくて全力疾走したとはいえやしない。取り敢えず謝る。

   そんな僕をニアが見つめていた。完全に裏目にでちゃった…。

  「…まあ、そんなことより、予定を決めましょう。『遺跡』に行くのは十日後で

  いいですね。言っておきますが絶対秘密ですからね」

   ケインが上手く取り成しながら、今日の集まった目的に話題を移してくれる。

  素っ気無いけど、こういうところはそつがない。本当に同い年か?

  「当たり前だろ!」

   グレッグが胸を張る。僕らの街と隣街の間にある古い遺跡への探検の発案したのは

  グレッグだ。ニアを僕らの秘密の場所に連れていくのと、まだ調べていない部屋を

  調べるのが今回の予定。

  「お弁当は私達で作るから、あんたたちは他ぜーんぶを担当。いいわね!」

  「はい、はい…」

   ミースに逆らうなんて学習能力のないグレッグぐらいのもんだ。

  僕とケインは条件反射的に頭を縦に振った。もっともミースの料理の腕は確かだし、

  ニアの料理も食べられるのなら何も文句はないけど。

  「じゃ、ニアにも建物の中を説明しましょう」

   そう言ってケインは鞄の中から取り出した図面を広げる。

   同時に公園内がざわめいた。

   声を追ってみんなが顔を向けると、みんなが空を指差している。

   視線の先、遠くの空にあった深緑の染みが、凄い勢いで大きくなりながら

  こっちに近付いてくる。

  「あ、あれは飛竜(ワイバーン)じゃないか!なんでこんな所に!」

  「そんな事より、急いで街へ戻るのよ!」

  「あっ!」

   グレッグの言葉を行動で遮ってミースはニアの手を取って走りだした。

   僕らも後に続く。

   あっと言う間に僕らの上空へとやってきた巨大な飛竜の羽ばたきが僕らを

  吹き飛ばす直前、僕とレノアは同時にふり返って今日の授業で覚えたての呪文を

  唱えた。

  「フェム・イル・ハイ!我が友なりし清き風よ、集いて我等の盾となれ!

  風壁(フェライザ)!」

   レノアの呪文はすぐに消えてしまったけど僕の呪文は風の壁となって辛うじて

  みんなを突風から護った。

   その時飛竜の赤い瞳と、額にあった赤い魔石までが僕を見たような気がした。

   それは間違いじゃ無かった。向きを変えた飛竜は真っ直ぐに僕らの所へと

  戻ってきた。

  「レノア!危ない!」

   逃げる時間なんかありはしない。僕に出来たのは、飛竜が覆い被さる影の中で、

  隣にいたレノアをミースの方へと突き飛ばす事だけだった。

   次の瞬間、僕の作った風の盾は巨大な緑色の爪に引き裂かれ、その爪が

  僕の肩に食い込んだ。痛いと言うよりも熱かった。その灼熱感だけを残して、

  赤く染まる自分の服にも気付かず、僕は気を失った。





   体を動かすと、柔らかな布の感触が顔を覆った。その心地好さと記憶の

  違和感に気付くと、僕は目を開いた。レティシア姉さんが褐色の瞳で

  僕を覗いていた。

  「気が付いたのねリュート、もう大丈夫よ」

  「僕は?ここは?」

   僕は頭をブンブンと動かして、周りを見回しつつ反射的に訊ねていた。

  「あなたの家よ。リュージュ兄さんがカルで追いかけたんだけど、途中で一人の

  旅人が助けてくれたんですって。怪我も治っているでしょ?」

   そう言って姉さんは微笑んでくれた。ふわふわにカールした前髪と対照的な

  金色の長い後髪がさらりと動く。僕にとっては美人で優しくて自慢の姉さんだ。

  「そう言えば、痛くないや…」

   もう、服は代わっていたけど、痛みが全然無かった。中を覗いても傷一つ無い。

  「ねえ、お姉ちゃん。僕を助けてくれた人ってどんな人?」

   飛竜から一人で助けてくれるなんてただ者じゃない。興味があって当然。

   どんな人だろう?

  「今、応接室にいらっしゃるわ。大丈夫なら私と一緒にお礼にいきましょ。

  でも、その前にお待ち兼ねの人がいるわよ、ちょっと待っててね」

   そう言って、ウインクを残して出ていった姉さんと入れ代わりに、五人組が

  傾れ込んできた。

  「大丈夫?」

  「無事か?」

  「ここにいるんだから当たり前ですよ」

   ミース、グレッグ、ケインと立て続けに聞いてくる。

   ニアは黙って手を揃えて見ている。

  「だいじょうぶ!」

   僕は特にニアに向かって笑って言った。あ、笑ってくれた!

  「ほら、レノアもお礼言いなさいよ!」

   それまで黙っていたレノアが、みんなの後ろからミースに引っ張り出された。

   どうしたんだろ?

  「べ、別にリュートに助けられた訳じゃないけど、一応、ありがと…」

   外方向いて言うことないじゃないか…。

   暫くして、ひとしきり話が済んだところに姉さんがノックと共に入ってきた。

   え?さっきとは変わってお気に入りの若草色のドレスを着ている。

  滅多に着たことないのに?

  「そろそろいいかしら。リュートも無事だったし、そろそろ恩人の旅人に

  お礼を言いにいきたいの」

  「はい。では、失礼します。じゃ、リュートまたね」

  「どんなだったか、話きかせてくれよ」

  「じゃあね」

  「約束忘れないで下さいね」

   ペコリ。

   相変らずの個性的な挨拶と共にみんなは出ていった。

  「さ、リュートも着替えてね」

   姉さんはそう言って持ってきた服をくれた。

  「お姉ちゃん。そのドレスどうしたの?それにお化粧までして…」

   さらさらの金色の髪にあったお気に入りのドレスに淡い色の口紅までひいてる。

  「え?これ?礼儀よ礼儀。大事な弟の恩人ですもの!」

   そう言いながらも妙に嬉しそうだな。にこにこして。何かいいことでも

  あったのかな?

   まさか悪いもの食べたんじゃないだろうし。

  「似合ってるでしょ?」

   姉さんの確認の一言に、僕は余計な事まで返事しちゃった。

  「うん。でも、お淑やかなふりしてもすぐにばれるよ…」

   姉さんは、顔を赤くして無言で僕の頭を小突いた。

   痛いよ。





   白のシャツの上に、ゆったりとした黄緑色の上下を緑色の帯で、腰と足首とを

  紐で止めたいつもの服装に着替えた僕は、二階の僕の部屋を出て、姉さんと一緒に

  応接室に向かった。

   僕の父さんは、この街の代表者の執政官という仕事をしてる。そのため、僕らは

  元々の家を離れて専用の家である執政官邸に住んでる。街の中心にあって、広い庭や、

  お客用の別館などもあるけれど、建物自体は二階建てのすっきりした造りだと思う。

   街の代表者とは言っても、背が低めで、小肥りの父さんは、温かみはあるけど、

  貫禄はないよなぁ。

   長い廊下を渡って、部屋の前に来ると、姉さんは何度も自分の服装を見直してから、

  やっと声をかけた。

   やれやれ…。

  「失礼します」

   ノックをして姉さんと一緒に中に入る。早速僕の恩人を姉さんの影から探した。

  父さんが僕たちを紹介してくれた。あの父さんの向かいに座っている人だ。

  「どうもありがとうございました!」

   元気一杯亜麻色の頭を下げてお礼を言って、まじまじと恩人を見つめた。

  見たこともない厚手の青い色の服を着てる。革の細い帯以外は無いのに

  どうやって留めてるんだろ?

  その服の名が上が『ポロシャツ』、下のズボンが『ジーンズ』と知ったのは随分と

  後になってからだった。

  「どういたしまして」

   姉さんと同じくらいの年のその人は、ぎこちない笑顔で応えた。癖のある黒髪と

  黒い瞳はとても優しそうだけど…。

  「お兄ちゃんが助けてくれたんだよね。そんなに強そうには見えないのになぁ」

  「こら!」

   僕の感想に姉さんは真っ赤だ。失敗したかな?姉さんの機嫌はすぐお菓子に

  影響するからなぁ。

  「失礼しましたマサト様。私、レティシアと申します。弟を助けて頂き、

  感謝の言葉もございません」

  「どういたしまして。でも、『様』は要りませんよ、レティシアさん。

  将人で結構です。照れ臭いですから」

   ?答えるのがちょっと遅かったけど、まさか姉さんに見とれた訳でもないだろね。

  でも、『イバラ マサト』って名前も変わってるな。

  「はい。ではそうお呼びしますわ。ですが、私のこともレティシアと

  呼んでください」

   姉さんてば、見たことも無い顔で微笑んで答えてるよ。慣れないことすると

  後悔すると思うんだけどな。

  「私との話も退屈でしょう。庭を案内して差し上げなさい」

  「はーい!」

  「はい」

   僕らは、すぐに父さんの言ったとおり庭へ出たけど、僕は先導だけで、話は

  姉さんばっかり。庭の花の説明なんかより、僕を助けたときの話を聞きたいのにな。





   結局、殆ど話さないのに、僕は勉強の時間。姉さんはお兄ちゃんを独り占め

  して、外へ出掛けるって。ずるいや!でもその代わり僕も、お兄ちゃんに渡した

  服のお礼だってこっそりと青色の硬貨を貰った。

  「青金貨幣(ブルーメタル・コイン)!本物?」

   これって凄く珍しい、数百年前くらいに採れなくなった魔法金属なんだ。

  「勿論本物さ。ほら」

   言いながら、お兄ちゃんが僕の手の上の貨幣に指先を添えると、淡く光った。

  「ありがとう!」

   今日は、一つ宝物が増えた。大収穫!飛竜に捕まったかいがあったかな?

  でも物でつられてお兄ちゃんを気に入った訳じゃ無いよ!





   お兄ちゃんと姉さんは夕方に戻ってきた。街を案内した後に、街の自警団の

  訓練にも参加してきたって言っていた。僕も行きたかったけどしょうがない。

  飛竜を一人で追い払ったんだから、きっと凄いんだろうな。

  「ねえ、お姉ちゃん、どうだった?お兄ちゃんってやっぱり凄い魔道士なの?」

  「ええ、高度な呪文もご存じだし、それに、複数の呪文を組み合わせて

  別の呪文として使うのよ。何処で学んだのかしらね?不思議な人だわ…」

   視線に宙を彷徨わせる姉さんを放って、僕は自分の考えに没頭した。

  今度個人的にお願いしよう。きっと教えてくれるさ。

   でも、折角戻ってきたのに、今度は歴史を知りたいからって姉さんと書斎に

  こもっちゃった。つまんない。しかも、姉さんが戻ってからも食事もしないで

  本を読むって。それじゃ、つまらない。で、実力行使に移った。その結果、

  お兄ちゃんは僕らと一緒に食卓についている。

   恵みの神に感謝の祈りを捧げて、食事が始まって暫くすると僕は早速お兄ちゃんに

  話し掛けた。

  「ねえねえ、お兄ちゃん。どんな風にして僕を助けてくれたの?」

   あまり、お腹が減ってないって、飲み物と果物を食べていたお兄ちゃんは、

  グラスを口から話すと、照れ臭そうに話してくれた。

  「…いや、飛翔術で王都に向かってたんだけど、道に迷ってしまって、森で一休み

  してたんだ。そうしたら、突然突風が吹いてきて陰ったで、それで空を見上げたら、

  飛竜が飛び去る所だったんだ。その足にリュートが捕まっているのが見えてね、

  それで追いかけたのさ」

   僕は肉の空揚げを口に運んで、食欲を満たしながらも溢れる好奇心も満たそうと、

  お兄ちゃんから目を離さなかった。

  「…追い付いてみたら、リュートの肩には爪が食い込んで血が滲んでるだろ、

  とても友好的には見えなかったんで、離すように言ったらいきなり、

  風を使って来た…」

  「それで、それで?」

   空揚げをほお張ったままの、僕の声はこもっていて、姉さんに行儀が悪いと

  叱られるかと思ったけど、姉さんもお兄ちゃんの話しに聞き入っていた。

  「…で、取り敢えずよけた…」

  「よ、よけたって…飛竜の風術を?話しが出来る距離から?どうやって?」

  「どうって、飛翔術でだよ」

   僕は、驚いたまま、暫く空揚げを嚥下するのも忘れていた。生まれたときから

  風と火の呪文を使える飛竜は、使う術に熟達しているし、風だけを走らせる

  風の術と、風を纏って身体を運ぶ飛翔術を比べたら、風術の方が普通は十倍は

  速い筈なんだ。

  「飛竜の風術って、呪文を唱えないんで使うでしょ?それに…」

  「高速圧縮言語(スラグルーン)での呪文なら、俺もできるし、風は得意なんだ。

  それで、リュートの言うように躱して、更に追いすがってきた風をこちらも

  風で相殺し、慌てている所にパンチを一つ」

  「えーっ!殴ったの?飛竜を?」

  「そ、で、更に使ってきた飛竜の炎を風で切り裂いて、同時に風に乗って飛竜から

  リュートを助け出したのさ」

  「…」

   お兄ちゃん、野良仕事を説明するみたいな口調だけど、自分のやった事が

  凄いことだって分かってるのかな?

  「お兄ちゃん、トロデフ地方から来たんだよね。そっちの人ってみんなお兄ちゃん

  みたいに魔道になれているの?」

  「…そう言う訳じゃないけど」

  「じゃ、お兄ちゃん向こうじゃ何しているの?」

  「えっとね…」

   お兄ちゃんが答えを考えているところで、僕の好奇心はお姉ちゃんにブレーキを

  かけられた。

  「リュート、個人的な事を聞くのは失礼ですよ。困ってらっしゃるでしょ」

  「…はーい」

   お兄ちゃんが僕の答えにほっとした表情をした。本当にこのお兄ちゃんが

  僕を助けてくれた所って想像できないや。でも、これで諦めたわけじゃないし、

  チャンスはまだ、ある筈だもんね。





   食事を終えて先に庭へと出たお兄ちゃんを追って、僕も庭へ出た。

  もうすぐ、王国の三五〇年記念式典が始まる。お兄ちゃんもそれを見に、故郷から

  出て来たんだって。

   庭のミリューズと言う名の白い花が二つの月に照らされて咲く花壇の中に

  お兄ちゃんは立っていた。

   別段、かっこいいと言う訳ではないけど、何となく似合っているから不思議だ

  と思うのは、ひいきかな?

   耳を澄ますと何かの音楽をなぞるように流れていた歌に続いて、声が聞こえた。

  「我夢で胡蝶となるか、胡蝶夢で我となるか、か…」

   何て言ったのか、僕にはよく分からなかったけど、それ以上何も

  言わなかったので、僕はちょっと待ってから声をかけた。

  「お兄ちゃーん!」

   僕の方に視線を向けたお兄ちゃんに近づきながら、僕は、食事の時に言い損ねた

  ことを言った。

  「お兄ちゃん今日魔術の先生やったんだって?今度僕にも教えてよ」

   僕は両手を頭の後に組み、お兄ちゃんを見上げた。月の影になってどんな表情を

  しているのか僕にはよく分からなかったけど、答えは期待通り。

  「宿題の後でならね」

  「うん!と、いけない。本当の用事はね、別にあるんだ。今日これからリュカーン朝

  の三五〇年記念式典が放送されるんだ、一緒に見ようよ」

  「それは、是非見たいな。通信球もまだ、見せてもらってないし」

   お兄ちゃんは、十年以上も前に始まった、通信球って呼ばれている魔道球を使った

  放送を見たことがないんだって。

  「ねえ、お兄ちゃん。今お兄ちゃんが歌っていたのはなんて歌?」

   言葉の前に聞こえた曲を僕は訊ねてみた。

  「ちょっとした流行歌だよ。ラブソング」

  「好きな人と一緒に歌う歌?」

  「ちょっと違うな。ほとんどの人は好きな人と一緒に聴くことの方が多いと思うよ」

  「…ふーん、お兄ちゃんの好きな人ってどんな人?」

   僕の質問を予想していなかったのか、お兄ちゃんは一瞬言葉を失った。

  「それはちょっと教えられないね」

  「いいじゃない。教えてよ」

   僕はお兄ちゃんの袖をちょっと引っ張った。するとお兄ちゃんは答える代わりに、

  逆に切り返してきた。

  「そうだな、リュートが好きな娘を紹介してくれたら考えてもいいよ」

  「そんなぁ、僕だって悩んでるんだからさ」

  「え?好きな娘いるの」

   お兄ちゃんは意表を突かれたらしい。そりゃ好きな娘ぐらいいるよ。

  「そりゃね。今度、みんなで探検に行くことになってるんだけど…」

  「なるほど、そりゃチャンスだ。頑張れよ!」

  「ね、だから何かいい方法ない?」

   僕の頭には、どうやったら、遺跡探検の時にニアのポイントを稼ぐか、その手段が

  まるっきりない。お姉ちゃんに言ったら、きっとからかわれるに決まってる。

  こんな相談が出来るなら、話題が変わったのも結構都合がよかったかも。

  「そんなこと言われてもなぁ…どんな娘なんだい?」

   本当に困っているらしいお兄ちゃんは、その表情の通りで、癖のある黒髪を

  くしゃくしゃと掻きながら逆に問い返してきた。

  「転校してきたばかりだけど、とても大人しくて、優しそうな娘なんだ」

  「可愛いのか?」

  「うん、とっても!緑色の目がとても綺麗なんだよ」

  「へえ」

   お兄ちゃんは僕のことを、何だかとても優しい目で見ている。

  「ま、女の子の考えている事なんて、なかなか分からないけど、いざって言う時に

  守ってあげるのが最高だと思うけどね」

   そう言ったお兄ちゃんの目が、ちょっと寂しそうだった。何故だろう?

  そう考える間も無くお兄ちゃんの目はいつもの物になっていた。

  「じゃあ、尚の事、お兄ちゃんに術を教えて貰わなくちゃね!」

  「うーん、呪文もそうだけど、いざという時、それを実行する勇気を持てるか

  どうかが大切さ。ま、リュートなら大丈夫だろうけどね!実績あるし」

  「うん!」

   僕自身、咄嗟にあんな事が出来たのも信じられないんだけど、どうせなら、

  今日助けたのがレノアじゃなくてニアだったよかったんだけどな。そんなことが、

  レノアにばれたら、何を言われるか…。

  「それと、教えた事は、自分の為には使わないこと、誰かの為にしか使わないこと、

  約束してくれるかな?」

  「うん!それって、女の子が困っていたら助けるのに使うのはいいんでしょ?」

   改めてそう聞いたら、お兄ちゃんは一泊おいて、吹き出してしまった。

  「ははは!それは、何にも増して重要だね。勿論さ!」

   そう言ってお兄ちゃんは僕の髪をくしゃくしゃにした。くすぐったいけど、

  何だか気持いいな。本当のお兄ちゃんみたいだ。

   更に他愛のない話をしながら、僕らは館に戻った。
















    少年と約束  〜トラブル〜





   館にいる人みんなが、そこで式典の開催を待っていた。全員と言っても、

  数人のお手伝さんと、父さんと姉さんに僕らだけだけど。

  部屋の隅には人の頭ほどの水晶球があって、その左右には二セムト半(五センチ)径

  程度の玉が一つずつ、左には緑色の金属球が、右には古代数字の刻み込んである

  淡い赤色の玉がある。この赤い球を取り替えると、別の放送を見ることが出来る

  しくみ。水晶球の奥には一メムト(二メートル)四方の皺一つない白い布が

  張ってあるけど、それは水晶球の上に写し出される映像を見易くする為なんだ。

  「適当な所に座って下さい。すぐに始まりますよ」

   父さんに言われるままに、お兄ちゃんは入り口近くの茶色の毛皮のソファーの

  中央へ、沈み込むように腰を下ろした。僕はその左へ飛び込むように腰を下ろした。

  姉さんはその反対側に精一杯優雅な身のこなしで落ち着いた。我が姉ながら

  見事なものです。猫のかぶりかた…。

   僕らが腰を降ろすと丁度時間になった。

   部屋の時計の時報を告げた時、それが予告の様に異変はおこったんだ。

  水晶球の上の画像が陽炎のように揺らぎ始め、その陽炎の中で小さな光が

  チカチカと瞬き始めた。

  「?」

   それを、よく見ようとすればするほど、その陽炎は揺らいで、同時に僕の意識も

  朦朧となって行く。やがて、遥か遠くで何かが砕けた音と一緒に、眠るように何も

  感じなくなっていった。





   僕はソファーの上で、大あくびしながら目を覚した。ぐっすり寝て目を覚した

  わけじゃない。周りがとても騒がしかったからなんだけど、よく考えたら、

  何で寝ていたのかよく思い出せない。

  「っと!危ない!」

   僕はソファーから立ち上がろうとして、床に砕け散った水晶の欠片が小さな池を

  造っているのを見つけた。通信球の欠片だ。

   それで、僕は自分が記念式典の映像を見ていた事を思い出した。

   周りを見ると、みんなが後片付けをしている中で、父さんが滅多に見せない

  厳しい表情をして同席していた秘書に、街の状況を確認するよう指示を出している。

   出ていこうとした父さんを呼び止めようとしたけど、先にお兄ちゃんの声が

  父さんを止めた。初めて聞くとても厳しい声に僕は驚いた。

  「なにか?申し訳ありませんが、状況が急を要するもので、後にして

  頂けませんか?」

  「だから、いま聞いてもらいたいんです」

   父さんは表情にしてお兄ちゃんに続きを促した。

  「今のは、たぶん意図的にかけられた催眠暗示です」

  「催眠?」

   『さいみん』って言ったの?何の事だろう。僕は次の言葉を待った。

  「そうです。意識を閉じない程度の状態の、半分眠った状態にして暗示を与える

  ものなんです。記憶しているかとは思いますが、最初、受像球からの映像が何か

  変でしたよね。あの映像でみんなを催眠状態にしたんです。これは、魔道による

  呪縛とは違います」

  「よく分からないのですが…」

   父さんはそう言ったし、僕にも良く分からなかった。

  「えー、じゃ、簡単に実演して見ましょう。リュート、ちょっと協力してくれない?」

   お兄ちゃんが僕を手招きした。

   勿論、僕がお兄ちゃんの頼みを断るはずもない。お兄ちゃんは僕をソファーに

  座らせ、その前に立った。

  「リュート以外はあまり、私の方をじっと見ないようにして下さい」

   僕だけは、何をするのかと、そのままお兄ちゃんを見ていた。

   しばらくして、お兄ちゃん周囲がチカチカと瞬き出した。

   光は次々と増え続け、無数の光の精霊が舞い踊るように、お兄ちゃんを

  光に包んだ。

   それから十秒とかからず僕の目は、色を判断できなくなり、やがて再び

  眠りに落ちた。





   パン!と手を叩く音で、僕は今日何度目かの眠りから覚めた。めをしばたく。

  今度のは眠りなのかどうかも良く分からない。頭はすっきりしているけど…。

  「あれ?僕また寝ちゃったの?」

   姉さんも、父さんもさっきと変わらずいるから、ちょっと居眠りでもしたのかな?

  そう思うとちょっと恥ずかしい。

   でも、そんな僕の耳に父さんの姉さんの名を呼ぶ声が届くと、一度ついた

  灯かりが消えるように僕は一瞬気が遠くなり、今度は一瞬にしてまた、元に戻った。

  なんか、気持悪いなぁ…。

   不思議なことに、その時僕は、いつの間にかお兄ちゃんに透明な輝きを放つ金属、

  青金貨幣(ブルーメタル・コイン)を握らされていた。

  「あれ?お兄ちゃん。僕これもう貰ったよ」

   こんな高価なものを幾つも貰えない。僕はお兄ちゃんに返そうと差し出したけど、

  お兄ちゃんは首を横に振って答えた。

  「これはリュートが今持ってきたんだよ」

  「えー?」

   僕が、これを持ってきたって?でもそれは確かに僕の貰ったものだった。鋳造

  年月と、斜に入っている浅い傷がその証拠だ。

  「と、言う訳なんです」

   お兄ちゃんがそう言ったけど、何がと言うわけなのか、僕には全く分からない。

   父さんがまたすこしお兄ちゃんと話しをして出ていって戻ってくると、父さんの

  表情はこれ以上無いくらい沈痛なものだったし、一緒に来た、街の自警団の

  法術師範をしているラグさんも一緒だった。

   みんなが話しをしている間、僕は蚊帳の外だったんで、とうとう

  我慢し切れずに訊ねた。

  「ねえ、どうしたの?何があったの?」

   そんな僕に姉さんが蒼白な顔で説明してくれた。

  「落ち着いて聞いてね。いまね、式典を利用して世界中の人に魔法以外の方法で

  呪縛をかけて、思い通りに操っている人がいるの。私達は、マサトのおかげで、

  こうして無事でいるけど、王都と私達そして隣の人達以外はみんなその人に

  操られてしまっているの」

  「え?」

   としか、僕には答えようがなかった。頭の中では『世界の危機』という全く

  現実みにかける垂れ幕が、風になびいていた。

   明後日の方を向いていた僕の思いは、耳に届いたお兄ちゃんの声で、戻ってきた。

  「じゃあ、僕はすぐに王都へ発ちます」

   聞き逃すわけにはいかない一言。僕の聴覚は一気にそちらに集中した。

  「それでは、王都にある我々の庁舎への転送陣を使ってお送りしましょう。

  こちらへ」

   立ち上がったお兄ちゃんを先導してラグさんが歩き出そうとするのに

  僕は追いすがった。

  「待ってください。私も行きます」

  「僕も!」

   僕と姉さんは互いを見つめた。姉さんは僕の発言に驚いたようだけど、

  僕の好奇心はそんなことでは収まらない。

  「リュートは駄目よ!ここに残りなさい!」

  「なんで!じゃあ、お姉ちゃんだって駄目だよ!」

   姉弟喧嘩一歩手前の僕らをお兄ちゃんがが一刀両断にした。

  「二人とも駄目だ」

   ええー。…不満だけど、僕はお兄ちゃんの一言に黙らざるを得なかった。

  けど、姉さんは一歩も引くつもりはないらしい。この辺は性格かなぁ。

  「王都には兄がいますが、この街と王都との連絡役を勤めなければならないでしょう

  この非常時に、誰が貴方の身の上を保証するのですか?」

  「それは…」

   何かいいかけたお兄ちゃんを姉さんの言葉が遮った。

  「行きます」

   姉さん栗色の瞳の奥には有無を言わせぬ決意の光が宿っていた。

  こうなると姉さんは一歩も引かない。

  「マサト殿、何かのお役に立つかもしれません。連れて行って下さい」

   少しの沈黙に続いての父さんの口添えに、お兄ちゃんも認めたようだった。

   僕は街に残ることを約束したけど、そのための条件をお兄ちゃんに出した。

  「約束したよね。魔法を教えてくれるって。破っちゃ駄目だからね!」

   僕の確認にお兄ちゃんはすぐに答えてくれた。

  「じゃあ、もう一度約束しよう。指きりだ」

  「ユビキリって何?」

   僕はそんな約束の仕方は知らない。どういう意味なんだろう?

  「僕の地方の約束の仕方だよ。小指同士を絡めて約束するんだ。この約束を破ると、

  針を千本飲まなきゃいけなくなるんだよ」

   そう言いながらお兄ちゃんは僕の右手の小指に自分の右手の小指を絡め、

  軽く上下に揺らした。

  「ふーん」

   僕は不思議そうな顔をして自分達の指を見つめたけど、約束の仕方より

  お兄ちゃんがしっかりと約束してくれた事が何よりも嬉しかったんだ。

  「安心して待っててくれよ。俺は、リュートが約束を守っている限り、

  約束を守り続けるから」

   それは、僕にとっては申し分のない条件だった。





   姉さんの準備が出来るのを待って、僕の家、つまり執政官邸の地下の転送の間

  へとみんなは向かった。

   通常の転送術で街全体にかけられている結界を越えることは出来ないので、

  地下十メートルにある部屋から、姉さん達は王都へと出発する。

   考えてみれば、何年も前に何処の街でも、街全体を防御用の結界で

  包んだんだから、ちょっとやそっとじゃ街の中には手は出せないはずなんだよね。

  唯一街の中に通じている放送魔道を利用するなんて頭いいな。

   細く長い階段を歩きながら、そんなことを考えているうちに部屋に着いた。

  奥にある十メートル四方の部屋は、ひんやりとしていた。

   ラグさんが魔法の光を部屋の天井へと作ると、暫くして部屋の中が見えた。

   魔法の転送に使われるだけの部屋は僕にとっては面白みにかけるただの部屋。

   姉さんは自警団の訓練の時の法衣を着込み、その上から皮製の胸あてを付け、

  外套と袋を手にした姿で、部屋の中央にある三つの水晶球の中心に描かれた

  魔法陣の上に立った。髪は三つ編みにしてある。

   お兄ちゃんもそれに続いた。

   姉さんの腰には皮製の鞘のついた細い剣つけている。それを見て初めて僕は

  不安にかられた。本当に大変な事なんだ。でもお兄ちゃんの姿は着のみ着のままに

  短刀と小袋を持っただけ。その姿を見ると僕の心は不思議と落ち着いた。

   何と言っても、僕を助けてくれた人なんだから、誰が信じなくたって

  僕には信じられる。

   僕は姉さんに近づくと、声をかけた。

  「お姉ちゃん、気を付けてね。でも、お兄ちゃん迷惑はかけないでね!

  僕の約束もかかってるんだから!」

  「分かってるわよ!リュートもちゃんとお父様の言うこと聞くのよ」

  「ほんとかなぁ。お姉ちゃん、思い込むと突っ走るから…」

   痛いところを突かれた姉さんは、ちょっと歯切れが悪くなる。

  「…リュート、そんなに自分に姉さんが信じられないの?」

  「…お姉ちゃん。お兄ちゃんのこと好きなんだろ…」

  「…え!」

   図星だ。姉さんは熟した果実の顔になった。

  「お姉ちゃんって好きなこと始めると歯止めがきかないから…。

  この前だって、一つの呪文を覚えるのに一週間も続けて喉からすまでやるし…」

  「…!」

  「ま、そこがお姉ちゃんのいいところなんだけどね。魔道だって準師範クラス

  にまでなってるしね」

   僕に見透かされた姉さんは一生懸命、言い返す言葉を探していたけど、

  それを実行に移すのは、帰ってきてからになりそうだ。

  「準備が出来ました」

   姉さんは、準備をしていたラグさんから、よばれて振り返った。

   一つ息をついてから、姉さんは言った。

  「では、行って参ります。お父様」

  「気を付けてな。マサト殿に迷惑をかけることのない様に」

  「レティシアだけは必ず守って見せますから安心してください」

  「いってらっしゃい!」

   みんなそれぞれの言葉にそれぞれの思いを込めて、相手を見ていた。そして、

  見送る僕らにに手を振りながら、お兄ちゃん達は光の波紋と約束とを残して

  消えて行った。







   それは、世界を救ったお兄ちゃんが、僕との約束を果たしてくれた一週間前。





   そして、僕らが忘れられない冒険に出かける、二週間前の事だった。











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