序  章 (プロローグ)


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[ 青き風と共に ] or NEXT STORYor GRAPHIC(挿し絵)

   リィィィィィィィ……。

   青い光に満ちた空間に音が響いていた。

   吸い込まれそうなほど、青く高い空の下、渺茫たる広がりを見せる緑の美しい森。

  穏やかに風の渡る木々の連なりの中に、古代ギリシャ風の神殿が建っている。

   巨大な無数の支柱に支えられ、その下にはどこにも継ぎ目のない、滑らかな石質の素材

  で出来た台があり、その上には床と同じ素材で出来た四角錘型の巨大な天蓋がある。特に

  飾り気はなく、装飾らしいものと言えば支柱の上下に、わずかに草の模様が彫られている

  玉があるだけである。



   神殿正面の入り口にある二本の支柱には、一体ずつの像が掘り込まれている。楽器を奏

  でている乙女の像。神殿への来訪者を祝福するように優しげな視線を向け、一方はハープ

  に似た、そしてもう一方は長めのオカリナに似た楽器を優しく奏でている。石に腰掛けて

  風の中に佇む姿は、均整のとれた肢体を包むゆったりとしたローブや、背中へと流れる長

  い髪が風に吹かれて動き出しそうなほどの見事さである。

   しかし、この二体の像が白いことを除けばこの神殿は全て淡い青色である。氷のような

  冷たさは感じられないが深い湖の湖面に似た透明感を持つ青い神殿。それ故ここは、

  『青の神殿』と呼ばれている。世界の始まりにおいて、最初に天からの光により照らされ

  たとされる聖域。

   神殿最奥部には巨大な、大人の背丈程もある、透明な結晶状の柱がある。床に描かれた

  同心円状に複雑な文字と図形を組み合わせた魔法陣が作る、無形の台座に支えられ、柱は

  自らを宙に留めている。

   両端の尖った正確な六角柱は、水晶の結晶を思わせた。

   その手前、大人の歩みで十歩を要する場所には、王女を守護する騎士の様に一振りの剣

  が突き立っていた。鍔の中央に開いた空間に青く輝く宝珠を浮かばせた両刃の剣は『草薙』

  の名を持つ神器である。

   しかし、剣に冠された、契約の印である異世界の神話の剣の名を知る者は、その数を数

  えるのに片手の指で足りる。

   今、剣の中の宝珠は淡い光を宿していた。

   静寂な神殿の中に響くかすかな音は、結晶柱から漏れていた。その中央部、虹色に煌め

  く光の中に黒い染みがある。良く見ればそれは人の指先ほどの黒い球体である事が分かる。



    黒い事以外は全く分からない。完全に光を吸収しているそれを体内に抱えた結晶柱は、

  苦悶の声とも、何かの警報とも思える音を発し続けていた。

   結晶柱の中の黒い染みは濃淡の変化を繰り返し、命あるかのごとき脈動を続けている。

   『草薙』の更に手前には二つの人影がある。

   清浄さを物質化した様な青一色の神殿の中の黒い影は、何かの歪みの象徴に思えた。

   どれだけの時をそうしてるのか、その姿から読み取ることは出来ない。

   一人が手にしていた、拳大の魔道球が突然発光した。

   魔道球は複雑な模様をその中に幾つか示すと、内側からの圧力に耐えかね、甲高い破砕

  音と共に砕け散った。

   一人の掌上で細片と化して床に飛び散った魔道球を歯牙にもかけず、二つの影は微動だ

  にしなかった。



  「来るぞ…!」



   一つの影が誰にともなく言った。

   言葉が結果を導いた。

   結晶柱と『草薙』との間の空間が一瞬色を失い、右手を天に翳した人影が浮かんだ。

   次の瞬間、その場を中心に凄まじい圧力が周囲を圧し、神殿自体を覆う魔法陣の内側す

  べてが半球状の眩い光のドームと化した。

   衝撃波が、同心円状に大気を切り裂き、木々を容赦なく叩く。



  「ぐっ!」



   二つの影も、瞬時にして身長の十倍程も吹き飛ばされる。しかし、それ以上は影の周囲

  に生じた淡い光の膜が力を流し、辛うじて留まっている。

   魔法陣の周囲は、漏れた力が人工の嵐を作り出し、遥か上空の雲すら渦状に消えている。

    数秒の光の嵐の後、魔法陣内を内側から圧していた溢れる光は一瞬にして結晶柱に収斂

  し、結晶柱自体が光の塊となった。

   徐々に光を失っていく結晶柱の中央には、二十センチ径まで増殖した黒い球体がこの世

  界に、遂に存在を確定していた。正確には黒い空間には何も、通常の空間すら存在しない

  というのが正しいのだろう。

   一瞬見えた人影も幻の様に消え、事の始まりから存在していた二つの影以外に人影らし

  いものは見えない。

   一つの影の半ば以上闇に沈んだ口元に、喜びを表すであろう歪みが生じ、薄い唇を割っ

  て声を漏らした。



  「…成功だな。『門』は開かれた。後は、この結界さえ消せば、大いなる力が我らのもの

  となる。しかし、伝承が真実であったとは、結果を目の辺たりにしても信じ切れぬ」



   別の影が無機質な声でそれに答える。



  「神殿も神剣もこの地にある。王宮の『時の巫女』もな。それを信じてこその此度の仕儀

  であろう」

  「我等の魂を使わずに『門』を開くためには、他に方法は有りはせなんだ。それなくして

  は永遠にこの世界を支配することは叶わぬ」

  「かつて、唯一人をしてこの世を支配させし力か…。それに抗い得る力は、その殆どを封

  じられても異世界との『門』を開く」



   その言葉に含まれる感情が恐怖であるのか、歓喜であるのかは、発した本人にすら分か

  らぬものであるのかも知れなかった。

   いかな感情を含むものであれ、彼らの目指すものに変わりはなかった。



  「『時の巫女』の方はぬかりなかろうな」



   その言葉が互いを、現実に引き戻した。



  「案ずるな。万が一の布石に過ぎぬのだ、こちらはな」

  「分かっておる。後は僅かな時を残すのみだ」

  「しかし油断はするまいぞ。『門』を開く力の源としてこちらの世界に呼び込んだ古の勇

  者とやらが、気付かぬうちに事を済ますのだ」



   相手の発言をただの杞憂としか受け取らぬ含み笑いを伴う声がそれに答えた。



  「なに、力さえ手にはいれば、古の勇者ごとき、いかほどのことがあろう…」

  「そう期待したいものだな」



   その言葉を最後に神殿には再び静寂が戻り、いつの間にか人影も消え去っていた。



  

  

     

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