食い物日記 番外編
10/30〜11/01 突貫!水の都への脱出(^_^;
超高ストレス出張日程に一日の休暇を願い出た(^_^;
いや、返事は届かなかったんだけど…まあ、いいよね?
毎日睡眠時間を四時間以下まで削ってボロボロだった私に
むち打つような…いや、目の覚めるような知人のお誘い(^_^;
『往復夜行列車で日帰り(?)ヴェネチアはどう?』(^_^)
『…付いて行きますm(_ _)m』
実際、脳みそがまったく動かなかったので、
ひたすら知人を頼って金曜の夜に旅立ったのでした(^_^;
さすがにチケットだけは、前日に予約しましたが…
円高がありつつも、ほぼ往復で四五〇〇〇円ってところかな?
宿代が込みということだとそこそこの値段という感じ。
感覚的には週末、関東から京都への旅行のよう(^_^;
いつも活用する旅行者向けの現地半額パスは、国をまたがるため、
二割引程度の効果しかないため、今回は活用を断念。
しかしながら、水没の危機が叫ばれる希有な景観の世界遺産。
この機を逃す手はない(^_^)
列車を間違えはしないかとドキドキで寝台列車に乗車(^_^)
出発は夜の九時…翌朝九時に現地到着の予定(^_^)
色々と手段はあるらしいのだが、実績のあるルートを選択。
ほぼ、十二時間で移動し、十二時間滞在し、十二時間で戻る…(^_^;
途中、『ボローニャ』で乗り換え。
何しろ早朝と深夜にしかいなかったので分からなかったが、
実はイタリアの美食街道と呼ばれる場所の一部…
ここで更に一泊するのがベストな選択だったかも(^_^;
(ページ末にうんちくだけ備忘録的に記載(^_^;)
そんな事とはつゆしらず…とりあえず、狭い寝台車で横になる(^_^;
というか、身体をロールするのがせいいっぱい(^_^;
車掌が来て、案の定、チケットとパスポートを没収される(^_^;
以前も夜に国境を越える電車の時にはそうだった。
すげー圧迫感の中でとにかく眠ることにする。
コンパートメントは、六人用と二人用とがあったのだが、
値段の安くなる六人を選択。
出発前は色々と噂が流れて、二人部屋だとそとから催眠がスを入れられて、
根こそぎ奪われるとか、いろいろ(^_^;
結局六人でも、問題なかったけど、やっぱり下の段じゃないと、
色々不便だってことは痛感した(^_^;
現地の天気は雨の予定なんだが、とにかく晴れることを祈りつつ、
眠りに落ちる…(^_^;
で、しっかり寝過ごしそうになって、友人に起こされ、
見失った靴とかを暗闇の中(電気がつかない…(^_^;)
探し回ってやっとの思いで降車し、乗り換え。
おおっ!?寝台車にマフラー忘れた…(ToT)
慌てるあまり、買ったばかりのマフラーを置き忘れてしまいました(ToT)
なんてこった…走り出した車両の車掌に声をかけたが、
終着駅まで連絡しろというすげない返事…
まあ、実際、戻ってくることはありませんでした(ToT)
やっと乗り換え…そして前の列車で渡された朝食を食べる(^_^;
乗り換えは早朝だったので、走り出すとやがて外が明るくなる。
田園風景を抜け(^_^;
穀倉地帯を走り(^_^;
溢れる日差しに希望をかけて進む…そして見えてくる遠景(^_^;
地理的にはこんな風になっている干潟(^_^;
線路を通って到着しても駅側からは特に外観に目立った感慨は実はない(^_^;
少し前の駅から乗ってきた人々と共に終点のサンタ・ルチア駅で降車。
『ワランジータ』と笑顔で声をかけられたのだが
意味は分かりませんでした(^_^;
とりあえず降車して一枚…うーん疲労が顔に張り付いてるなぁ(^_^;
しかしながら期待いっぱいで、仮想ヴェネチアを部隊にした某作品の
ゆるやかなサウンドトラックとカンツォーネが流れるヘッドホンを装着。
音量と外部音を半々くらいにして、気分を高めつつ歩きだす。
それにしても、いい音楽だなぁ…これ。ぴったし(^_^)
駅の構内を抜けると…やっと待ち望んだ風景が!しかも晴れたぁ!(^_^)
さて、ここでちょっとうんちく…(^_^;
1987年、世界遺産(文化遺産)「ヴェネツィアとその潟」として登録れたこの土地。
大陸からの川の流れに乗ってくる土砂、そして、アドリア海の波と風の力によって作られた湿地帯。
元々はただの湿地帯だったが、6世紀頃に東方からゲルマン系諸族やフン族がイタリア本土の
ヴェネト地方に侵入してきたため、住民がこの湿地帯へと避難したことから街の歴史が始まりまる。
避難した先が現在の「トルチェッロ島」。足場が悪い湿地帯のため、侵入者は追ってくることが出来ず、
避難した人々はここに暮らし続けることになる。
アドリア海沿岸地域は元々ビザンティン帝国の支配下にあったため、
ヴェネツィアも同じように支配されていたが、697年に初代総督を選出して
独自の共和制統治が始まりまる。
9世紀はじめ、フランク王国がヴェネツィアを支配下に置こうとして軍を派遣し、
トルチェッロにいた人々は更なる避難を余儀なくされ、
現在のヴェネツィア本島へと移り住むことになり、このときにたどり着いたのが現在の
「リアルト地区」。810年にビザンティン帝国とフランク王国との間で結ばれた条約で、
ヴェネツィアはビザンティン帝国に属するが、フランク王国との交易権ももつこととなり
貿易都市への布石となった。
当時、ヨーロッパ各国では、その国の存在をアピールする目的で国の守護聖人を
求める風潮があり、ヴェネツィアも同様に守護聖人を求めていたところ、
福音書を書いた聖マルコの遺骸がエジプトのアレキサンドリアにあり、
イスラム人に奪われる恐れがあることを聞きつけ、828年、
それを奪い取り(?)ヴェネツィアに運んだ。
この時よりヴェネツィアは聖マルコを守護聖人としている
その後、海運国家として繁栄するものの、時の流れに抗せず、
ナポレオン統治下に入ったり、オーストリアに支配されたり、
イタリアに戻ったりで現在に至る(^_^;
全景の地図はこんな感じ。橋だけと名所と(^_^;
時間に限りがあるので、まずはカナル・グランデ一番奥のサンマルコ広場を目指し、
そこからゆっくりと寄り道しながら戻ってくるというコースを選択。
クレジットカードが使えなかったりとどたばたしたが、
(旅行雑誌には駅前だけカード使えるってあったんだけどねぇ(^_^;)
一日パスを購入して水上バスの列に並ぶ。
さて、巨大な杭にわくわくしながら大混雑の1番ルートの水上バスに乗船(^_^)
このバスが、片道一時間ほどで一番奥と駅を往復するのだが、
他にも巡回タイプもあるので、それにも機会があったら乗りたい(^_^;
軽快な手際でとも綱を解き、バスは発進(^_^)
潮の香りはほとんどしないが、とにかく風景に目は釘付け。
天気も良くなったので風が心地よく、暖かいくらい(^_^)
ちなみに、こういった杭にもちゃんと種類と名前があります(^_^;
ふつうの杭は『パリーナ』、束ねて番号の書いてあるのは標識みたいなもので『プリゴラ』
模様付きの彩色パリーナは、それぞれ登録されていて店毎に違ってたりする。
本当に水辺に面した家々…ゴンドラともすれ違う(^_^)
門も運河に面しているんだが、本当にここから出かけるのかな?(^_^)
…っていうか…本当に水没しているよ…ひー(ToT)
とにかく、風と波音が心地よい。
とても不思議な空間だなぁ…中国の小さな運河の街とは、
雰囲気が違ってて、素朴さはなく堂々としているように見える。
波に反射する日差しが、きらきらと建物の壁に、
つかの間の印象画を描いては消えて行く(^_^)
ゴンドラにも乗りたいなと思うのだが、とっても人目を引くようだ。
というか、優しく見送られる年配のカップル以外はほとんどさらし者?(^_^;
ちょっと別な意味で度胸が必要な感じ。
ゴンドラの相乗り版(というか殆ど渡し舟)は、『トラゲット』というもんで、
乗り場の看板を見ると分かるのだが…ゴンドラと違って、あんまり人は並んでないんだけどね。
しかも、立ち乗りが基本らしいのでちょっとスリリング(^_^;
でも、乗ってみたい気はする(^_^)
全行程の三分の一ほどで有名な『リアルト橋』を通過(^^)/
大運河カナル・グランデは全長が3キロメートルを越えるにもかかわらず、
今日でも3つの橋しか架けられていない。
その3つの橋のうち、真中の橋がこのリアルト橋で。
この橋は現在でも歩行者のためだけの橋でありながら、時を超越したようなな美しさを誇り、
世界に名だたる橋の中でも特異な位置にあるらしい、モニュメンタルな橋として知られているんだとか。
それまで運河に架かる橋はそのほとんどが、橋の下を船が航行できるようにするために
木製の跳ね橋が架けられていた。
しかし、耐久性の面から石橋にすることが様々に提言されてはいたが、
それらの計画案も実施されるに至らなかった。
一般公募により選ばれた橋の設計案は、建設技術者アントニオ・ダ・ポンテのものであった。
この案は、橋下を多くの船が通ることを考えて、単一アーチでそりの大きい太鼓橋であった。
軟弱な地盤や技術上の問題から工事は困難であったにもかかわらず、
ダ・ポンテは1588年から1592年のわずか4年で橋を完成させた。
また橋上にはアーケードが作られ商店が並んでいるんだが、
これも架橋当初から構築されていたものらしく、乱雑にならず整然としている。
というか、土産物屋のオンパレードなのだが(^_^;
さらに、ヨーロッパの橋には珍しく運河を見晴らす欄干と花瓶型の手摺が付いており、
橋の中央部は前後を開放した憩い場となっている。
この場所が商業地区の中心に位置することもあり、当時はここが市民の市場として大変賑わったという。
今でも賑わいはあり、近くには市場なんかもあったりする(^_^)
1900年代にコルビジュエがヒューマンスケールの理想的生活圏のモデルとしたヴェネツィアで、
リアルト橋は「橋の中の橋」であり、市場そのものであり、
その橋と周辺の地域は、政治権力と経済権力の中心ともなった…のだそうな(^_^;
ま、もどりしなにゆっくりと見ることにする(^_^)
橋をくぐって反対側から更に眺める…いいねぇ(^^)/
船は更に進む…とにかく、風景が見飽きないのが素敵(^^)
さて、更に三分の一ほどを進んだところで、次なる橋の下を通過(^^)
木製のこの橋が『アカデミア橋』(^_^)
散々な議論やオーストリア製の鉄の橋の不評の後、再度委員会が設立され、
水中トンネル案なども提案されたが、決定には至らず、
橋のデザインを募集するアイデアコンクールが催され、
とりあえず、その結果を待つ間、仮設の木製の橋を造ることになった。
これは、ウィーンのPasgualin(パスクゥァリン)により落札され、
1933年2月19日に完成した。
ところが、仮設であったはずのこの橋は、戦時中も石橋に造り替えられることもなく存続され、
1948年には木材が朽ちてきたため、鉄の2つの大きなアーチが付け加えられた。
その後、1964年にも修復を行い、1984年には再建が議論されたが、
結局かつての木製の橋を再建する結論に至り、
1986年には外見上は全く以前の木製の橋
(構造部は鉄製、橋台はコンクリート構造)が出来上がった。
つまりアカデミア橋は、1933年当時の姿をそのまま現在まで残すこととなった。
今では木製のこの橋のほっそりとした形状は、
ヴェネツィアの都市景観の中に自然に溶け込み、仮設の橋であったことを疑う者もいない程、
街になじんだ橋となっている…という、落ちのある橋だったりする(^_^;
これも、あとでゆっくりと渡ろう(^_^)
船は更に進む…とにかく、風景が見飽きないのが素敵(^^)
そして、サンマルコ広場前の波止場に到着(^_^)
気温も上がって、皆薄着になって、露店へ寄り道しつつ、
奥へと進んで行く…のだが…やたらと列が重いと思ったら…
おおお!完璧に水没しとる…(^_^;
いやもう、ここまでとは思わなかった…(ToT)
渡し板ので作られた簡易版の回廊の上を皆で押し合いへし合いして
進んで行くのだからたまらない(^_^;
この混雑の中で、立ち止まって携帯電話で大声で話すチャイナや、
割り込み三昧のコリアが目立つのもまた、見慣れた光景ではある(-_-#
それにしても…カフェはどうやって営業すんだろう?(^_^;
椅子やテーブルがあるところを見ると、営業はするんだろうけど…。
ちなみに、右上の写真の黄色いブーツもどきは、確か15ユーロくらい。
その辺で売っているもので、靴の上からビニールをはき、
くるぶしとひざ下をバンドで止める簡易版(^_^;
どうすっか迷ったけど…とりあえず購入はやめて、楽しく列に続く(^_^)
とりあえず一度渡って今度はアーケードの下を移動(^_^;
サンマルコ大聖堂の彫刻をちょっと見上げたり(^_^;
そして再びの渡り廊下の上から道を振り返る…うーむ(^_^;
うんちくてきには…
サン・マルコ広場(Piazza San Marco)はヴェネツィアの表玄関で街の中心。
サンタ・ルチア駅前からボートでカナル・グランデを下り、
アドリア海にでる所にある広場。
ナポレオン・ボナパルトが「世界で最も美しい広場」と評したらしい。
サン・マルコ寺院(Basilica di San Marco)はヴェネツィアの代表的な建物で、
ビザンティン建築の代表的な建物。
聖堂内はビサンティンとロマネスク様式の混合した壮麗なモザイク。
聖人がどうやって選ばれたかは、『リアルト橋』のところで記載した通り(^_^)
周囲はこんな感じで芸術品三昧…で、渡り廊下は右図緑線のように走ってました(^_^;
とりあえず、図書館からドゥカーレ宮殿に渡り、
図書館に面したアーケードをサンマルコ寺院に向かってから、
鐘楼の前を経由して時計塔へ…他にルートの選択肢もなかったんだけどね(^_^;
ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)はヴェネツィア共和国時代に総督公邸として
使われていた宮殿。もともとは要塞。
火災での炎上などにより何度も改装されて15世紀頃に現在の白の柱と
ピンクのタイルが印象的なゴシック建築物におちつく。
内部には歴代のヴェネツィア総督の肖像画など沢山の絵画が飾られているのだが、
混雑ぶりにとりあえず先を目指して進むのだが…
こんな感じで戻ることも、トイレに行くことも不可能(^_^;
大聖堂の正面から、広場を一望しても…水没…しっぱなしなの?(^_^;
広場を囲むアーケードの商店街も水没…(^_^;
しゃれにならない状態なのだなぁ…(ToT)
ここを抜けるとようやく、水が上がって地面に足を降ろすことが出来る(^_^;
そんでも、そこら中が水による通行止めだったりする。
ま、それはそれで、街の迷路っぷりが際立って楽しい(^_^)
細い路地はびっくり箱のようでとっても楽しい(^_^)
この辺で、空腹を覚えたので昼食を求める(^_^)
あちこちに、巨大なサンドイッチやピザやケーキが売られているのだが、
それは後ほどということで、海産物がウインドウに並ぶ店を選択(^_^)
しかしながら食べたかったのは『時価』扱いだったのでさっさと挫折して、
イカ墨のリゾットを注文…窓際の席はとっても注目を浴びました(^_^;
香ばしくてとっても美味しゅうございました。
まあ、歯が真っ黒になったけどね(^_^;
さて、腹も満ちたところで、買い物をしつつ、
ゆるゆると街を再び巡る(^_^)
視野がたて長になりますねぇ(^_^)
そこかしこを繋ぐ太鼓橋と、カラフルな家々がとても情緒的(^_^)
サンマルコ広場から、離れるような方向で散策したんだけど、
土産物屋街や公園以外は、意外と静か。
でも、その割りには店を除くと、地元の人々らしい方々が、
昼真っからワインを飲んで談笑している。
しかも、その辺の料理の方がかなりリーズナブル(^_^;
ま、イタリア語しか通じないかもしれないけどね(^_^;
土産物屋には美しいベネチアングラスが…高いけど(^_^)
ちょっと土産物として購入するには躊躇われたが、
とりあえず眼福な感じ。本当は、工房とかにも足を伸ばしたかったんだけどね。
ペンダントやブレスレットなって小物もあったんだけど、
結局購入せず…買ったのは、ピンバッチにナイフといういつもの品々
場所もとらず小さいものということで(^_^;
それぞれが一枚の絵のよう…スケッチの時間がないのが残念(^_^)
そういや、最初の方の旅行の時は駅の待ち時間とかでラフスケッチとかしたし、
ルーブルの中で『ニケ』をスケッチして至福の時間を過ごしたけど、
写真とってばかりになったなぁ…(^_^;
教会を覗いて、またサンマルコ広場に戻り…時計台を見上げる(^_^)
さて、どうもサンマルコ大聖堂に入れるらしいので、列に加わってみる。
前の地図の、コの字型の渡り廊下はこのためのもので、一度、時計塔まで達して、
水を避けてぐるりと回らないと、列に並ぶことも出来なかったりする。
なんとなにし、水が引き始めたような気もする(^_^)
ゆるゆると進んで入り口に入ろうとすると…何故か戻ってくる人がいたりする…
え?かばん持ち込み禁止?(ToT)
列に並ぶ前に行って欲しいなぁ…(ToT)
ということで、列を抜けて指定の荷物預かり所(無料)にかばんを預けて、
カメラとiPhoneだけを持って再度列に並ぶ…今度は入れました(^_^;
中に入るのは無料なんだけど、屋上に出たり、特別な場所を見る時には
追加でお金が必要になります。
金色に輝く天葢の絵…じつはこれ全てモザイク!(^_^)
数センチ角のチップを並べて作られたものだってのは、
有料の展望台に上がると分かる(^_^)
小さな入り口から急峻な階段を上がるとそこに改札があって、
チケットを購入すると入れます。
某作品では秘密の抜け道みたいに描かれてましたが、皆様風景を堪能できます。
確かに、外に出た瞬間に『馬の尻』が迎えてくれますがね(^_^;
ということで上がってみました…サンマルコ広場方面はこう(^_^;
こっち向きに四頭の騎馬の像があるんだけど、外に出ているのがレプリカで、
中が展示場になっていて、本物の像とか、修復時に一部取り外した
モザイクがのレプリカとか沢山の展示物が見れて飽きない。
内部の展示物は写真撮影禁止で携帯電話も禁止なんだが、
無視した若者が、監視員にどなられたりしてた。
カメラ取り上げられていたような…?
ちなみに、土産物も入場料を払ったここのが一番質が良くて、
安かったりしました(^_^;
時計塔もちょっと近く見えたり(^_^;
L字型を巡って波止場方面はこんな感じ(^_^;
時間は午後三時過ぎくらい。
やっと人が歩けるくらいに水が引いて、あちこちの店が準備を始めたようだ。
とりえあず、この辺で風に吹かれて風景を堪能する。
堪能して降りると、ほぼ水は引いていて、渡り廊下も撤去され、
あちこちで、色々な準備が始まり、広場を人々が縦横無尽に歩き始める。
このくらいの時間から、かなり自由に歩けるようだ(^_^;
ということで、ちょっとした騒ぎのよう(^_^;
アーケードの中を歩いてみると、店は皆大掃除(^_^;
水を掃き出して、モップをかけ、巻き上げてあったカーテンを降ろし、
椅子と机を並べ直してクロスをかける…
これって毎日やってるんだろうなぁ…営業時間半減?(^_^;
オープンカフェでは演奏が始まってる(^_^)
アーケードをゆっくりと巡って一周。
ま、ほとんどが土産屋でしたが、値段はあまり変わらなかったな(^_^;
夏場だと、『影追い』をして、ちょっとずつオープンカフェの場所も移動するらしいけど
ま、この季節、しかも限られた時間ではそうはならない見たい。
でも、ゆっくり半日をここで過ごしてみたいねぇ(^_^)
やはり頼むのはカプチーノ(^_^)
ちなみに隣では、老夫婦がジョッキサイズのパフェを頼んでました(^_^;
ちょっと写真撮るのは諦めましたが、
頼んでも食い切れなかったと思うな…でも、老夫婦はきっちり食べてましたが(^_^;
あれだけ食べていれば、樽のような身体になるだろうなぁ。
そして鳩と戯れる人々(^_^)
広場には鳩がいて、売っている餌を手に乗せると、
飛んできてそこから食べるみたいで、子供たちが、
おっかなびっくりで餌やりにチャレンジ(^_^)
なかなかに絵になる光景である(^_^)
自分では気恥ずかしくて出来ないが(^_^;
鐘楼と天使の像を超望遠で撮影(^_^)
音楽が響き、青空の下、人々が思い思いに時間を過ごす。
ナポレオンが『世界で最も美しい広場』と呼んだ光景が、
こうだったかは分からないけど、思い描いた風景の中に、
自分が佇む幸福感に身を浸すのでした(^_^)
…ふう…(^_^)
音楽と雑踏に身を浸し、くつろぐこと三十分ほど。
そこそこに堪能したところで、サンマルコ広場を後にして、
ゆるゆると駅に向かうことにする(^_^)
波止場に向かいつつ、『ためいき橋』を見る(^_^)
この橋『バリア橋』ではなくて、この橋から見える奥の橋なんだけどね(^_^;
ドゥカーレ宮殿の裁判所と牢獄を結ぶ橋は「ため息の橋」と呼ばれ、
この橋を渡ると二度と戻れないと言われたことから囚人は
ため息をついて渡ったと云われていたりする。
無数の露店の脇を抜けて、水上バスに再び乗船する。
この時間のバスは空いて、船べりからゆっくりと風景を堪能できる。
聖堂のシルエットも波のきらめきの中美しい(^_^)
片道三十分なんだが、戻りの電車の時間は七時だったので、
食事も含めて三時間くらいかけて戻りルート堪能の予定。
他にも墓地の島とか色々あるし、巡回型のバスに乗ると別ルートにも
行けるんだけど、とりあえず来た道を戻るルート(^_^;
まずは、修復中のデッラサルーテ教会(^_^)
ペストの死者の追悼のために作られた教会らしい。
内部は無料で見学が出来る。
静かな円柱型の教会内をぐるりと一周してみる。
特別展示室とかは特にない(^_^;
教会を出てからはバスに戻るのではなく、
次の目標の『アカデミア橋』までを歩くことにして、
教会脇の橋を渡り、細い路地へと進む(^_^)
雰囲気と道なりにまかせてのそぞろ歩きが楽しい(^_^)
直進が不可能で、幾つにも分岐したり統合したりする矩形の道を
あちこちと覗きながら移動。
この辺は、とりあえず水没の余波は少なそう。
小さな店や庭園がそこかしこにあってびっくり箱のよう(^_^)
暖かい時期だともっと色々な姿が見れるんだろうなと。
歩くこと十五分くらい?でアカデミア橋に到着(^_^)
かなり広い橋の上では、思い思いの時間を過ごしたり、
あやしげな鞄やおもちゃを抱えて売り歩くアラブ系の人々とかで
結構混雑している…サスガにチャイナ系はみないが…同じようなもんかな?
橋の上から来た運河を一望しつつ休憩(^_^)
何度見ても飽きの無い光景だなぁ。
アカデミア橋を渡って先に行くと、広場と繋がる
ステファーの教会もある。
中を覗いてみたが…演奏会・ミサの準備中でした(^_^;
ということで、早々に水上バス乗り場に移動して再度乗船し、
次のリアルト橋を目指す。
五分程でリアルト橋に戻ってきました(^_^)
そろそろ夕暮れで、だんだん暗くなってきたけど、
写真ではいまいち分からないかな?(^_^;
腹の減ったらしい友人は早速、食い物を購入したようでした(^_^;
気になるけど、何しろ何を食べてもボリュームが多いので、
夕食までちょっと我慢なのでした(^_^;
リアルト橋を上がってみると…
上り口はこんな感じ(^_^)
混んでるし、カップルは多いし…まあ、そうでしょうねぇ(^_^;
風景を楽しむなら、アカデミア橋の方がゆっくり出来ると思うけど、
ここは橋の上に、店が沢山あるので、それはそれで楽しい(^_^)
裏はこんな感じのショッピングモール(^_^)
この辺はかなり道も広いし、店の数も多い。
橋の両側に長く続いていて、市場やレストランもある。
ま、そろそろ土産物屋にも見慣れてきてしまったが(^_^;
食事時にとにかく誘惑の多い香りが漂う道並。
まずは、橋の向こう側(写真左)へと進んで行ってから、
次は戻ってサンマルコ方面の教会へ向かってみる(写真右)
それにして凄い賑わい(^_^;
ここから数百メートルでサンマルコ広場まで直進出来るので、
表示もあるし人もとにかく沢山流れていて夕暮れの街はかなりの混雑。
道に入ってしまうと、教会の屋根も見失ってしまったりするのだが、
ちょっと迷ったけど教会に到着(^_^)
静かな教会にはほとんど人もいなく、ちょっと腰を降ろして、
ロウソクの光が作る陰影のゆらめきをぼんやりと眺めたりしてみる。
絵も飾ってあるのだが予備知識もなく、詳細は不明(^_^;
到着した時点で既に日は暮れてしまってまして、
ヨーロッパっぽい赤みがかった照明があちこちに反射して、
それもまた奇麗(^_^)
リアルト橋へ戻ると既に橋はライトアップ(^_^)
最初に目星をつけていた、橋の袂のレストランに入って
ムール貝中心の海鮮パスタを注文。
知人もハーベストを頼んだようで、互いにシェア。
少々俺が食いすぎ(^_^;
こうみえてそこそこのボリュームのある絶妙な塩加減のパスタでした(^_^)
ついにここで禁酒を断念…ビールを飲んでしまいました(^_^;
割れた歯に仮詰めした状態で、だんだんそれも薄くなってきたみたいなので、
堪えていたのだが…ま、しゃーないということで(^_^)
ゆっくりと堪能してから、サンタルチア駅までの水上バスに乗ったのでした(^_^)
駅に戻りスカルティ橋から周囲を見回す(^_^)
戻った時点で出発まで一時間あまり。
近距離の巡回コースにのれば、夜の街を一巡り出来そうなんだけど、
ちょっと安全確保して、駅の周りを歩くことにした(^_^;
ライトアップという訳ではないのだが照明が奇麗(^_^)
コースとしてはスカルティ橋を渡り、対岸を奥の方へ歩き、
バスプールを抜け、近代的な橋を渡って、ぐるりと一周して駅に戻る。
結構家族連れが歩いていたり、暗い割りには人通りが多い。
きっとこのまま、夜中まで続く光景なのだろう(^_^)
駅の近くの教会ではミサの最中(^_^)
入って賛美歌を聴き、五分ほどで終了したあと、僧侶の掛け声で、
親しく握手を求められたりして、しっかりと笑顔で握り返した(^_^)
どうも、互いに感謝の念を伝えなさいみたいな言葉だったらしい。
残りの時間を駅近くのチョッピング街をふらふらしてすごし、
駅に戻ると確認したはずの列車のホームが移動になってました(^_^;
さすがヨーロッパ…気が抜けないのう(^_^)
それでも列車は定時に到着。
乗車して、写真の整理などをしつつ乗り換えのボローニャを目指す。
ボローニャで失ったマフラーの行方を探してみたのだが…
『マフラー』の概念が伝わらなくて四苦八苦。
スカーフって言っても、なんて言っても通じなかったが、
なんとなく分かってもらったものの、結局終着駅(ローマ)で保管されている可能性が
あるので、そこまで自分で電話してくださいという落ち(ToT)
入手を断念し、一時間半の待ち時間で、寝台列車に乗車。
思えば、夜の街でもちょっと散歩すれば良かったんだが、
暗かったので『何もない場所』という印象しかありませんでした…
ちょっと調べてから行けば違ったんだが…(^_^;
戻りも六人用のコンパートメント。
ニーちゃん二人と、女性一人旅(最初はニーちゃんたちの仲間かと思った)
と同室になったが、早々に眠りに落ちてしまいましたとさ(^_^;
というか、やっぱりパスポートとチケットを受け取ると、
車掌が電気を消して行くのでした(^_^;
そして、朝にジュネーブへ到着。
なんとかトラブルもなく無事に戻ってこれました(^_^;
突貫だけど、なかなかに密度の高い旅行。
次回があれば、もうちょっと計画を練って活動範囲を広げたいところ(^_^)
まあ、今回みたいな、職場指令で半監禁状態になるようなことは
無いだろうと思われる。期待する。拒絶する(^_^;
それにしても、素敵な一日でした(^_^)
ちなみにその後…ジホテルへ戻ったところ…(ToT)
職場からの帰国指令が…届いてましてチケットを換えに空港へ行ったり、
(電話したけど通じなかった)、会議の資料を前倒しで仕上げたりして
休む間もなくお仕事三昧。
平身低頭して知人に事後をお願いして、三日ほど早めて帰国したのでしたm(_ _)m
おまけの、備忘録的『ボローニャ』うんちく(^_^;
イタリアには『黄金の土地』と呼ばれる場所がある。
イタリア最長の川、ポー川流域の平原である。西欧には珍しく稲穂が揺れ、収穫の秋には黄金に輝いて見える。
それだけではなく、この土地は様々な作物の実る豊饒の土地なのだ。
それだけではなく『美食街道』なるものがあり、その道を辿ればイタリア料理の真髄が見えてくるのだとか。
ミラノとアドリア海を結ぶ『エミリア街道』三つの都市が等間隔で並んでいる。
パルマ・モデナ・ボローニャ。これらの街には世界に誇る食文化がある。
パルマでは、チーズの王様『パルメジャーナ』で作られたチーズリゾット。
モデナでは、ブドウから作られた『アチェート・バルサミーコ』という最高級のお酢があり、
どんなものも美味しくしてしまう魔法の液体。
ボローニャではパスタ『ポロネーゼ』が生まれた街(もちろん、オペラ劇場もある)。
運動会で必ずかかる『ラデツキー行進曲』を書いたイタリアオペラの巨匠『ジョアキーノ・ロッシーニ』が
その美食の真髄を示すという。
ロッシーニは三十七歳という若さで突如として音楽会を引退。故郷のボローニャに帰ってしまう。
その理由は『料理に没頭したいから』なのだそうだ。世界中のグルメを虜にする。
美食街道の中心地ボローニャ。
街の中心にある『マジョーレ広場』にはこの時期芸術の催し物が行われている。
広場に古い町並みが描かれ、人々が様々な色を塗っていく。
ボローニャは芸術の街でもあり、地元の銀行が主催したイベントなのだそうだ。
イタリアの銀行はこのような文化事業を行い、利益の一部を還元する義務があるのだそうだ。
ボローニャは十一世紀に大学の出来た、世界最古の『大学都市』。
現在の四十万人の人口のうち、十万人が学生だと言われている。
ボローニャの街には通り沿いに『ポルティコ』と呼ばれるアーケードがあり、その総延長距離は四二キロにも及ぶ。
人々を雨や風、強い日差しから守る、このアーケードが出来た切っ掛けは、大学の人気だった。
学生が増えてしまい、宿の数が足りず、道路にせり出すように拡大した為だという。
当時、アーケードの上は下宿だったのだ。
アーケードの便利さに気付いた人々がそれを町中に広めてしまったのだ。
五キロもある最大長のアーケードのたどり着く先は、急な回廊を経て、丘の頂まで続き、街の風景を一望出来る。
ここには『マドンナ・ディ・サン・ルカ聖堂』がある。
ボローニャ大学の学生食堂はいつも大賑わいで、豪華な料理名並ぶ。
パスタも一番人気はボロネーゼ。
『ラグー』と言うのは『ボロネーゼ・ソース』の事なのだそうだ。
ボローニャは幾つものショートパスタが生まれた場所でもある。
パスタにも色々な種類があるが、指輪の形をした『トルテリーニ』というパスタがある。
これは、一人の料理人がある女性の美しい『おへそ』に感動して作ったという。
中身はチーズとハム。
肉と野菜のスープで煮て、水ギョウザのようにしてスープパスタとして食べるのが一般的。
別名『ビーナスのへそ』なのだそうだ。
そんな楽しい場所だったとは…訪問の機会のあらんことを(^_^;
食い物日記本部へ
MY TOP PAGE
INFORMATION