食い物日記 番外編
11/12~14 天高く聳えるアレは一時間待ち!?(^_^;
あ~、また行動力のある知人と共に脱出しました(^_^;
あ~、ドキドキした(^_^;
ほんで、写真だけ駄文抜きを希望の方はこちらへどうぞ(^_^;
事後的に…無事ジュネーブに戻るとほっとする…(^^;
それぞれに夕飯を食って、駅で集合し、寝台列車を待つ(^_^;
行き先は、写真の通りスペインのバルセロナ…
復路はフランスのニームとアヴィニオンに寄る予定…世界遺産付き(^_^;
相変わらず突貫な脱出行である…知人の企画能力の高さがすばらしい。
しかしまあ、日本にいる間に企画が完了していると
色々便利なんだろうけど、そこはそれ、現場の判断が重要なのだ(^_^;
参考に選んだルートと時間を掲載…スイス鉄道のHPは便利だ(^_^;
行きは寝台列車を使って、宿泊費用も浮かした。
全工程でほぼ42000円くらいなので、まずまず?
ということで、寝台車に乗車する(^_^;
四人向けのコンパートメント。
相部屋は一月も休みをとって旅行しているというカップル…
うらやましい限りだ(^_^;
フランスでは、一九三六年に二週間の有給休暇を義務化した『バカンス法』以降、
一月くらいのバカンスを取るのが主流だとか…数日の休みですら取りにくいのに…
モチベーションと創造力において勝てないのが分かるような?(^_^;
予告も無く電車は発車し、車掌がチケットとパスポートを回収。
返却が翌朝なのも、いつも通り。
そして、考え事をしてたつもりが…電気が落ちるように爆睡してました(^_^
睡眠ガス強盗の結果では無かったようだった(^_^;
翌朝、七時くらいに朝食を取りに食堂車に向かう(^_^;
終点到着二時間前くらいに車掌がチケットとパスポートを
返しに来ると、その後は目が覚めて寝れない。
ということでの朝食。それほど食欲がある訳ではないんだが、
場所はすでに早起きした知人が探検済み(^_^)
8EUROと高めだが、まあそんなもんだろう。
飲み物がお代わり出来たらしいのだが、気づかなかったのが、
ちょっと残念。
それでも地中海に上る朝日を見ながらコーヒーはなかなか(^_^;
もっとも、海が見えているのは、ちょっとした時間だけどね(^_^;
伊豆みたいに海岸線まで山があるので、
町は狭くて、現れては消えていく感じでした(^_^;
そして十時前にようやくバルセロナ駅に到着(^_^;
大砲のような車両止めが印象的(^_^;
知人お任せ的に同行している俺は現地の地理が頭に入ってない。
んがしかし、そんな俺には強い味方のiPhoneのMAPと
ジャイロがある!…筈なんだが…ホットスポットが無い(^_^;
事前のMAPのスクリーンショットのみ活用(^_^;
左がほぼ行動範囲の全容…右下に駅があり、
中央のエウラリア大聖堂付近に滞在予定のCOLONホテルがあり
上の辺りにカタルーニャ広場があるという感じだ。
とは言うものの上から見ればパリと同じような形(^_^;
内部の敷地を囲うように、背の高い建物が並ぶ。
路地に入ると、方向感覚と距離感が不安になる…
まあ、それでも歩いてホテルまで行くしかない(^_^;
駅を出て右手には公園と動物園、左手奥には「コロンブスの塔」(^_^;
コロンブスの塔のところで、駅前通りと直交するのが有名なランブラス通り(^_^;
この街の「売り」であるらしい…がまあ、早朝は閑散としているだろう。
夜遅くまで多くの人通りでごった返し、花屋、鳥屋、大道芸人、
カフェテリア、レストランが並ぶ、市の中心から臨海地区まで走る
大通りである。
ランブラス通りを歩くと、いくつもの興味深い建造物に混じって、
世界的に有名なリセウ大劇場 "El Liceu"、"La Boqueria" の
食品市場、Placa Reial (直訳すれば王家の区画)、
そこに設けられたアーチやシュロの木を見ることができる。
南の終端にはクリストファー・コロンブスの像があり、
(なぜか米大陸のある西方ではなくて東方の)
海を指して立っている。
遥か先にその姿を遠望しつつ、とりあえず、駅正面の路地を
直進してみる。
空には無数の航跡が交差する…で、旧市場の脇を通過(^_^;
オープンカフェを通過し、朝から絵描きの姿を見る(^_^;
なんとなく芸術的な感じがする…が、この辺にあったはずの
ピカソ美術館には全く気づきませんでした(^_^;
そんでも、路地を抜けて車どおりに出る。
その辺で、やっと自分の位置を再認識(^_^;
教会の脇を抜けて、やっとCOLONホテルに到着する(^_^;
目の前には広場と「エウラリア大聖堂」とガウディの小さな
美術館もある。ちょっと歩けばダリの美術館と
有名な繁華街もあり「超便利」な場所らしい(^_^)
簡単な日本語も使えて、日本人も結構泊まってた(^_^;
荷物を抱えて歩きたくは無かったが、
部屋に入れるのは午後二時から。
スペインの方々はなが~いお昼休みを取るとの事で
タイミングを外すと色々間が悪くなりそうなので、
まずはサグラダファミリアを目指す!(^_^)
と、…その前に目の前のエウラリア大聖堂にとりあえず入る(^_^;
千年もの歴史を持つ大聖堂らしい…ということでうんちく(^_^;
かつてこの場所には、原始キリスト教の教会があったらしい。
この建物は西ゴート王国時代にも使われたとか。
教会最古の遺跡部分は、現在バルセロナ市歴史博物館に
保存されていらしいが、表示は現在も残っている。
986年、アル=マンスールによるバルセロナ占領で教会は破壊。
1058年、ロマネスク様式に立て替え。
現在の建物は、バルセロナ伯ジャウマ2世
(アラゴン王としてはハイメ2世)時代の1298年に建設が始まり、
およそ150年後に完成したゴシック様式建築。
聖十字架及び、バルセロナの守護聖人である聖エウラリア
(伝承によると、ディオクレティアヌス帝時代のキリスト教徒大迫害で殉教)に献堂された。
聖エウラリアの遺骸は、当時のバルセロナ司教フロドイによって
地下納骨堂に埋葬された。
ファサード(建物の入り口)は、1888年のバルセロナ万博にそなえ改装。
ネオゴシック様式である。
本堂と回廊は完全に同じ様式で統一されている。
最長部で90フィート、横が40フィート。
本堂と5つの側廊の高さが等しく、交差廊は先端が短いらしい。
大聖堂内の回廊では、13歳で殉教した聖エウラリアにちなみ、
13羽の白いガンが飼われている…どこで?(^_^;
とまあ聖堂の両脇には、豪奢な金作りのイコンが並ぶ(^_^;
その前には、普通蝋燭が50CENTくらいで売られているものだが、
ここでは、小さな電灯が寄付の金額に合わせた時間点灯する。
まあ、効率はいいんだろうけど、教会に入ったときに漂う
独特の油のにおいが無いのはさびしい。
2EUROで屋上に上がれるというので上がってみる(^_^;
2.5EUROと割安(^_^;
しかしまあ、実態は工事用の掘っ立てエレベータを使って
補修工事の通路を歩けるくらいなのだ…風が強くて怖い(^_^;
見晴らしはいいんだけどね~
遠方にはサグラダファミリアが…クリックするとムービーが見れる筈なんだが…(^_^;
地中海とか、色んなものが一望に出来るので、お勧め。
ムービーにあるように、不思議な建造物やら、行ってみたいところだらけ。
でもまあ、時間と根性との戦いだな(^_^;
ということで、降りて大聖堂を出ると、ダリ美術館の場所を確認し、
そのまま、地下鉄の駅のあるカタルーニャ広場へと向かう。
広場の奥から繁華街を抜けるコース(^_^;
この辺、スペインというよりも、ニースとかに近い感じ。
人通りの多い、有名店の並ぶ繁華街で、通りの上には
飾りが渡されている…夜になると点灯するのか?
と思ったが、夜でもそのままでした(^_^;
更に歩いていくと、両側に露天…というか、出店がある。
結構、しゃれた服が売られていて、実際に着ている店員の
着こなしが見事。そういや、美男美女が多くて、
スタイルも顔立ちも、フランスよりもメリハリがあるなぁ。
そういや、露天で売られていたターコイズのブレスレットが
気になったけど、後回し…(これが失敗の元でした(^_^;
更に歩くと、カタルーニャ広場に到着(^_^;
とりあえず、ここに来た証拠写真…難しい顔は眩しいから(^_^;
ジュネーブもミュンヘンも気温は十度前後だが、
バルセロナの気温は二十度を上回る。
でも風は冷たくて、日陰に入ると結構冷えた。
皆、思い思いに日差しを楽しんでいるようだった。
とにかく、青空が心地よい!(^_^)
交通ルートとしては、地下鉄のほか、観光バスもある。
20EUROで乗り降りがし放題で、短時間で巡るにはよさそうだったが、
チケット買いにインフォメーションセンターに行ったら、
長い列が出来てて、あっさり断念…ちょっと残念(^_^;
チケットを購入し、ゲートを潜る…電車以外にも乗れそうな雰囲気(^_^;
ということで、地下鉄…高解像度になったiPhoneはここでも活躍する(^_^;
結構繋ぎの難しい地下鉄。
路線図もちょっと複雑。
この辺から、サグラダファミリアまでは、二つくらい
ルートがあって、どちらを使っても、一度乗り換えて、
そこそこ駅の構内を歩いたり、上ったり、降りたりする(^_^;
駅に到着して、地上に出てみると…
どどん!おおすげい!(^_^;
ということで、地下鉄の駅の上にあるようだ…強度的にどうでしょう?
この辺で、ちょっと備忘録兼うんちく。
サグラダファミリアは、民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が、
すべて個人の寄付に依って建設される贖罪教会として計画し、
初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受けた。
1882年3月19日に着工したが意見の対立から翌年にビリャールは辞任。
その後を引き継いで2代目建築家に任命されたのが、
当時は未だ無名だったアントニ・ガウディである。
今では、彼の名前しか聞かないが…
以降、ガウディは設計を一から練り直し、1926年に亡くなるまで
ライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。
ガウディは仔細な設計図を残しておらず、大型模型や、
紐と錘を用いた実験道具を使って、構造を検討したとされる。
中にはそんなのの模型もある…続く…(^_^;
しかし入るには、裏まで続く長蛇の列をクリアせねば!(^_^;
何時間かかるか分からない列は、ぐるりと教会を半周して、
裏門まで続いている状態…大道芸人は来るわ、
近くのレストランからのちらし配りは来るわ…
近くの土産物屋が気になるけど、抜ける訳にもいかないと…
結局、一時間かかりました(^_^;
チケットは12EUROが入館券、ついでに2.5EUROの展望台券!(^_^;
わざわざ端数を出した知人は、端数なしのおつりを渡されて、
しばし悩んだあとUターンして取り戻してました。
基本、いい加減なので、おつりをごまかされない様に…(^_^;
ちなみに、登る塔の名前も記載されているのでした…
並ぶ人波を振り返りつつ、ゴスペルの歌詞の書かれた扉を抜けて中へ(^_^;
…この辺で、うんちく続き…(^_^;
ガウディの死後、もはや忠実にガウディの構想通りとはならない
この建築物の建造を続けるべきかという議論があったらしいが、
職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど残された
わずかな資料を元に、時代毎の建築家がガウディの設計構想を
推測するといった形で現在も建設が行われている。
すげえ、根性もあったものだ。
北ファサード、イエスの誕生を表す東ファサード、
イエスの受難を表す西ファサードや内陣、
身廊などはほぼ完成したがイエスの栄光を表すメインファサード、
18本建てられる内の10本の塔が未完成らしい。
これらの塔の12本が12使徒、4本が福音記者、
1本が聖母マリア、1本がイエス・キリストを象徴するものと
されているらしい。
東側の生誕のファサードでは、キリストの誕生から初めての
説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されている。
3つの門によって構成され、左門が父ヨセフ、中央門がイエス、
右門が母マリアを象徴する。
中央の門を構成する柱の土台には変わらないものの象徴として
亀が彫刻され、中央の柱の土台には林檎をくわえた蛇が
彫刻されている。
また、門の両脇には変化するものの象徴としてカメレオンが
配置されている。
中央門では、受胎告知、キリストの降誕、祝福をする天使、
東方の三博士や羊飼い達などが彫られている。
キュビズムのような彫刻なのは、途中なんだろうかなぁ…。
…うんちくも長くなるのでこの辺で割愛…(^_^:
まあ、完成まで200年はかかるとかつては予想されていた工事は、
スペインの経済成長などに支えられて進捗は加速しているらしい。
公式発表では、ガウディ没後100周年目の2026年に完成するべく
工事が進められている。建設開始から長い年月が経っているため、
建築と並行して修復も行われているし、戦時中にはかなり破壊も
された。
2005年、建設途中ながら、生誕のファサードの部分が
アントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録。
…まあ、写真の方が雄弁だよなぁ…
更に、どどむ!内部を見渡したムービー付き(^_^;
ついつい見上げてしまう…そして地下には礼拝堂が(^_^;
ミサの時間も書いてあるようだから、実際の礼拝にも
使われてるんだろう。地下にある展示室の説明ビデオによると、
地下の礼拝堂はガウディの作品のままらしい。
本当に大空間である。
新品の現代風の教会だなぁ…というのが率直な印象。
ローマの大聖堂のような重厚さ、無数の名画、
厚みのある陰影を作る垂れ幕、人の並ぶ懺悔室…
的なものは、まだまだこれからだな。
それはそれで期待ではある。
ステンドグラス撮影にもiPhoneのHDRモードが活躍(右)(^_^;
おそらく、一日の陽の変化を想定して配置されているステンドグラス。
まぶしかったり、暗かったりなのだが、
HDRモードだと、綺麗に取れるなぁ…
ゆっくりと巡って西ファザードから出る(^_^;
それにしても、内側の柱の樹木のような広がりの表現は凄い。
置いてある模型で、どういう風にして角度と太さを
決めたのかが説明してあったりするが、
見えないところに表現の工夫があるなぁ。
地下には美術館もある(^_^;
ここには、正面のファザードの下絵や、
建設の過程を説明したビデオ、模型や、試作品と思われる、
一部などが、展示されていたりする。
建設の歴史ムービーはこんな感じで上映(^_^;
戦時中の映像や、建設途中で吹きさらしになった内部を歩く人とか
見せてくれてたりして、五分くらいなので是非どうぞ…英語ですが(^_^;
さすがに柱は石だけではなく、鉄筋コンクリート活用だったりしたのが、
当たり前といえばそうだけど、ちょっと意外だった。
再度HDRの効果を確認(しつこい)(^_^;
さて時間制展望台エレベータで登る?(^^;
エレベータのチケットには時間が書かれていて、
制限がかかっている。それと、チケットには塔の
名前も書いてあるので、どこでも良いという訳ではない。
ちなみにどこの塔かは、全然説明してくれんかったよ~な?(^_^;
上がってみると、地中海は美しいが展望台は直径二、三メートルと狭い!(^_^;
何か、あまり、落ち着いて見れる環境ではないなぁ…(^_^;
エレベータでは次々に人が来るし…
ここからは、歩いて降りることも、エレベータで降りることも出来る。
もちろん、折角なので歩いて降りるのだが…
まだまだ建築中の壁面も見える…下りの階段は怖い!(^_^;
幅は一メートルも無いんじゃないかな?
すれ違うことも難しいので、追い抜いてもらうときには、
壁に張り付くようにせねばならんかった…
手すりもないので、こけたら下まで一気?(^_^;
各国を代表する馬鹿の痕跡も残る…(^_^;
見張りも無いので、いたずら書きはし放題だな…
階段の途中に張り出したテラスがあるんだけど、
四隅に穴が開いてて下が見える…
なんだか、岸壁の出っ張りに立っている気がして、
すげ~怖かった(^_^;
あ、ちなみに鐘がなるけど、塔の中は拡声器でした(^_^;
最後には一方通行の鉄柵のドアを抜けて、聖堂内へ戻る。
あ~、怖かった…。
ちょっとした土産を購入して教会を後に…(^_^;
知人はライトアップされたサグラダファミリアに興味が
あるようだったが…戻って来るのか?(^_^;
それはそれとして、さすがに空腹。
列に並んでいる時に渡されたチラシの店がよさそうだったので、
店を探して移動する。サグラダファミリアから一区画だけ
移動するだけなのだが、周囲はシャッター街状態。
確かにチラシを配らないと客がコナソウではある(^_^;
しかし、店は静かでパエリアとビールで8.5EUROでした(^_^;
ちょっとべしょっとしている感じだったけど、
ビールにミックスのパエリアを堪能しました。
個人的は、歯が真っ黒になってもイカ墨パエリアを食べたかったが、
本日は、無しだそうな…(^_^;
さて、この辺で一度ホテルに戻る。
一日券がエラーを起こして地下鉄ゲートがくぐれなくて
困ったが、警備員にごねたら、彼のカードで通してくれました。
それにしても、警官とか見回りが多いのは、やはり治安?
ホテルに戻るとチェックインして、再度六時の集合を約して、
知人と分かれる。アメニティはしっかりしているし、
いいホテルだった…写真撮るの忘れたが…
ホテルの部屋は、広場に面してて見晴らしも良かった。
ホテルでキャッシングはしてくれなかったが、目の前の銀行に、
キャッシュマシンのコーナーがあるので、通りにある、
ちょっと怪しげなマシンよりは、こちらがお勧めかな?
さて、約束の時間を少々オーバーして、再度集合し…
ダリ美術館に入ってみる(^_^;
ちょっとした、個展サイズの場所で、お城ひとつ丸ごとの美術館は、
別にあるらしい…で、ちょっと、うんちく…(^_^;
ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲラスで、
裕福な公証人の息子として生まれたとか。
母親も富裕な商家出身だった。ダリには幼くして死んだ兄がいて、
同じ「サルバドール」という名が付けられた。
このことは少年ダリに大きな心理的影響を与えたらしい。
少年時代から絵画に興味を持ち、画家ラモン・ピショット
(ピカソの友人でもあった)から才能を認められ、
1922年、マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学し、
フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人)、
ルイス・ブニュエル(映画監督)と知り合った。
ブニュエルとは、1928年にシュルレアリスムの代表的映画
『アンダルシアの犬』を共同で制作した。
作品だけ見てると、奇人にしか見えないのだが、
実際にはダリは根っからの奇人というわけではなく、
本当に親しい友人の前では非常に繊細で気の行き届いた
常識人だったとされている。
つまり彼のこうした「アート」は現実世界と対峙するための
鎧のような物で、顕示される自己が必ずしも
ダリ本人そのものではないことは重要かもしれない。
でも難解な作品の数々…コンコルド広場、デュラーへのオマージュ、偉大なるイスラム…(^_^;
凡人は何かを読み取ろうとしてはいけないのだろうか?(^_^;
頭とかケツから何かを吹き出してたり、それが循環したりする
モチーフの絵が、ここには多かったな。
デッサンもある…(^_^;
サインだって無数で思うがまま?(^_^;
これらの真贋ってどうやって判定するんだろう?
他にも難解なものが沢山ありました(^_^;
それにしてもすげー、パワーだなぁ…溢れているなぁ…
すぐ枯渇する俺の脳内に、インスピレーションが届くといいな(^_^)
さて、続いてやはり、サグラダファミリアのライトアップ(仮)を
見に行くことにして移動を開始する。
明かりの点いた繁華街を抜けていく(^_^;
途中、路地に入って飲み物とかちょっと購入。
明日の朝飯…という訳ではないけど、飲み物くらいはね。
それにしても物価が安い。
7UP(まあ、サイダー?)350ml缶と500mlの炭酸水で1EURO。
他のも結構なボリュームでも低価格でした。
夜のカタルーニャ公園から再び地下鉄に…(^_^;
昼間、エラーになった一日券は使えました…ほっ(^_^;
まあ、しかし色々起こるもので、地下鉄の乗換えで、
入り口でぐいぐい押してくる女性がいたんだが、
避けて奥に行くと、今度は知人に。
スリでした(^_^;
知人が相手の手を捕まえて「おすもう」になったところで、
向こうは何も取ってないよと両手を挙げたまま、
列車の外へ脱出…うーむ…堂々としているなぁ…
で、サグラダファミリアは、というと…
ライトアップというか…照らされているだけでした(^_^;
写真だと一部の塔の内側が緑なんだけど、
外見は普通に照らされているだけでした…
完成したら、結構盛大にやるかもと、期待(^_^;
さて、この辺で既に八時過ぎ。
地元の名物料理を求めて、バルセロナ駅へと向かう。
ぐるぐると巡って、目的の店を発見したものの…
有名店は長蛇の列…(^_^;
ホテルのフロントに頼んでも当日の予約は出来ず、
「列を作れ」と言ってたのはこーゆー事だったんだ(^_^;
この他に、既に店の中には人がいたので待ち時間は不明。
ということで、さっさと諦めて、ホテル近くで、
同様の名物料理を出してくれるという店を求める。
ちょっと裏通りみたいということで、グルグルと巡るが、
なかなか見つからない…
夜の街を抜けてホテル方面へ戻る…タベルナってどういう店?(^_^;
あ~、ちなみに、現地の人々は、こんな夜中でも
子供を連れて歩き、乳母車でバーに行くようです。
余所見をすると子供とぶつかりますのでご注意を(^_^;
かなり迷った感じだったが、まじめに行けば楽な4GATSに入る(^_^;
入り口は小さな喫茶店みたいなんだけど、奥にホールがあって(^_^;
弾き語りのピアノの演奏もしている陽気な店。
にいちゃんも結構のりが良くて、雰囲気は良い。
残念ながら、この店で、例の名物料理はなかった…
代わりに、にーちゃんが進めてくれたのが…
名物料理にとってもシミラーらしい、スープリゾット(^_^;
すげえ、旨かった(^_^)
貝と剥いた海老と大振りの海老をしっか煮込んだ海鮮リゾット。
名物料理だとムール貝も入っているらしいけど、これはこれで当たり(^_^)
値段は17EUROだから2000円くらいかな?
ただ、お通しのオリーブとか、白ワイン頼んだのに赤がきたりと、
やっぱ、基本、いい加減なところなんだなぁ(^_^;
二階席は、基本、カップルで、ホールはグループという感じ。
一皿が結構なボリュームだと思うのだけど、老夫婦とかも
平気で何皿も食べてた…でかくなる訳だ(^_^;
ということで、初日は無事に過ぎ、満足して眠りに落ちたのでした。
(というか、本当に電池が切れるように寝てしまうなぁ(^_^;)
さて、翌朝は八時半くらいの電車で、早々に戻る予定。
八時の待ち合わせでロビーに降りてみる。
既に出歩いている知人を静かな広場で待つ(^_^;
なんだか、びみょーに頭痛がする気がするのは
昨夜のワインのせいだろうか?
酒に弱くなったのかなぁ…
それはさておき、戻ってきた知人と合流し、駅へと向かう。
朝日の差す細い路地を抜けて駅へ向かう(^_^;
駅では、何故かゲートで荷物のチェックをされた…
テロの予防?(^_^;
電車はつつがなく発車。五時間をかけて、ニームへと向かう。
ちょっと名残惜しい(^_^;
列車の中では二日酔い(?)のため爆睡。
余談としては、どこにでも現れる中国人が、
某諸島のように勝手に居座って、占有権を主張する。
しかもうるさい…
玉突き的に、周囲の配置が換わり、最後に困ったおばちゃんと
相談して全員を入れ替えで合意。
スペインのあんちゃんが一人、食堂車へ待避したような?(^_^;
困ったものだ。
わずかに見える、地中海(^_^;
雑談的に聞こえてくるところによると、この辺には
海の中の教会があるらしい。
潮の満ち引きで、モンサンミッシェルのようになるのだろうか?
ちょっと興味があるけど、途中下車不可のため、通過(^_^;
五時間をかけてニームに到着(^_^;
ニーム(Nîmes)は、フランスの南部に位置する都市。
ガール県の県庁所在地。古代ローマ時代からの都市で、
当時の名をコローニア・ネマウサ(Colonia Nemausa)と称する。
ニームには古代ローマ時代の橋・神殿・円形劇場などの遺構が
数多く残る。水道橋ポン・デュ・ガールは1世紀に建設され、
街にウーゼ川から水を供給していた。
現在ポン・デュ・ガールはユネスコの世界遺産に登録されている。
(駅前からは車で二十分くらいはかかるらしい)
ニームの円形劇場は現在も闘牛やコンサートに使用されている。
駅前はバルセロナと違って、すっかり秋(^_^;
地図の写真を撮って、とりあえず円形闘技場を目指す(^_^;
歩いて五分くらいの非常に近い場所。
人通りは少なかった…観光客がいないわけではないけど(^_^;
ちなみに予定滞在時間は二時間…途中下車の旅だし。
歩くこと数分で、闘技場に到着(^_^;
さすがに迫力の巨大石造建築物。
まだ、闘牛で使っているせいか、動物園のような臭いもする(^_^;
チケットは、ここ専用と、ここの他の高台にある塔や庭園を
見て回れるパスとがあるのだが、本日、開いているのは
チケットを購入し…(^_^;
無料の音声ガイド
(ただしデポジットに身分証を渡さねばならない)
を借りて闘技場の内部に入る。
巨大な石の建造物…弩迫力である(^_^;
ローマよりも迫力があるのは、今も使われているから?(^_^;
写真をクリックしてムービーもどうぞ(^_^)
遠くに塔も見えます。
階段を上って最上部まで上がれるんだけど、
とにかく風が強くて怖い!
建造物としては、左右対称に綺麗に作られて、
ローマのコロッセオよりも意義があるんだとか。
残念ながら、ニームで見れたのはこれだけ。
もうちょっと天気が良くて、他も見れれば良かったんだけどな。
ということで、駅に戻り、空腹をポテチとジュースで少々癒して、
次なる目的地へと向かう。
そして、更に三十分でアヴィニオンに到着(^_^;
アヴィニョン(Avignon)は、フランスの南東部に位置する都市。
ヴォクリューズ県の県庁所在地である。
五時過ぎについて、またしても二時間予定の滞在。
ここからは最後に乗るTGVには乗れない…ということで、
アヴィニオンTGVの時間と現地の地図を確認(^_^;
リムジンバスがあるので、活用するのが吉。
この時期、この時間では、20分に一本。
チケットは1.2EUROです…車内で買ってチェッカーに通すタイプ(^_^;
ちょっとうんちく…(^_^;
1309年にクレメンス5世がアヴィニョンに居を定めて以来、
1377年にグレゴリウス11世がローマに戻るまで、
7代69年間に渡ってこの「捕囚」が続いた。
この間、事実上の「キリスト教界の首都」となったアヴィニョンには、
教皇庁宮殿、現在はフラ・アンジェリコや
ボッティチェリの「聖母子」を収蔵するプティ・パレ美術館として
利用されている大司教館など当時の建築が数多く残り、
その辺りの地区はアヴィニョン歴史地区として世界遺産になっている。
駅前の鋸歯状の城門を抜けて、そんな夜の通りを歩く(^_^;
すでに陽は暮れているけど、人通りはこれからという感じ。
それにしても、こっちの人は、寒くてもコート着たまま、
外で酒を飲むよなぁ…(^_^;
駅前のからの通りをひたすら直進し、
歩くこと十五分ほど?
正面奥にあったメリーゴーランドの脇を抜けて、法王庁へ到着。
到着…したんだけど…既に閉館…あれぇ?(^_^;
開館時間は19時までのつもりだったが、17:30終了で、
しかも、発見は一時間前に終了とか…ちょっと間に合わなかった…。
まあ、しゃーないということで、外観を見つつ、
サン・ベネゼ橋の方へ向かってみる。
目的の橋に到着…背後にはいかにも城砦の異観が(^_^;
童謡『アヴィニョンの橋の上で』で知られるサン・ベネゼ橋(Pont St. Bénézet)。
橋の上で輪になって踊ろうと歌われているが、
実際は、踊れるほど安全な橋じゃあない。
渡ることさえ危険なときもあり、橋から転落し命を落とした者さえいるとか。
ローヌ川の度重なる氾濫により何度も橋が崩壊、
その度に修復を強いられ財政を圧迫。
17世紀には遂に修復を断念、22あった橋脚のうち、現在は4つのみが残る(^_^;
でも、登ってみたかったらしい知人と、上り口を探してみる。
対岸に渡っても渡れなかったので…細い路地を駅へ戻ることに(^_^;
迷路のような路地に、少々方向を失いながらも、
何とか元の通りに戻って、駅を目指す。
法王庁に入れなかったので、一時間ほど余裕がある。
やはり、ここで飯を食うべきという結論に達する。
どうしてもショーウィンドウの牡蠣が気になる知人(^_^;
ということで、海鮮レストランに入る。
少々バスの時間を気にしながらのなのだが、
ウェイターいわく、問題なし(^_^)
急ぎで注文は、何となく定番なメニュー(^_^;
ビールに海鮮スープにムール貝。
知人は更に牡蠣も頼んだ。
ムール貝が17EURO、牡蠣も結構大ぶりのが六つで9EUROと
ジュネーブ市内よりも全然安い。
でも、ムール貝は、南仏で食べた大きく大味なあれでした(^_^;
でもまあ、そこそこ美味しかったです。
急がせたせいか、半生で開ききらないのもあった…けど。
最後のスープ、スプーンですくって頂く時間がなかったので、
俺はグラスに注いで、知人はもっと大胆な頂き方で、クリア。
結構お勧めです(^_^)
さて、リムジンバスの停留所に戻り、バスを待つ。
これに乗り遅れると、戻れなくなるのでちょっとドキドキ。
幸い、時間通りにバスは到着。乗車後10分くらいで、
アヴィニオンTGV駅に到着。
巨大なチューブ状のアヴィニオンTGV駅(^_^;
かなり最新な駅でした。
ここからジュネーブまでは二時間半。
一等車(しか空いてなかった)でゆっくりと写真を整理しながら
戻るつもりだったが…何故か、備え付けのコンセントから
電源が取れず断念して、お休みタイムに(^_^;
そして、22:30、無事にジュネーブ到着…
今回も激しい旅だった…(^_^;
次はどこかな~(^_^)
あ~、無事に帰って来れて良かった…!?(^^;
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